無意識日記々

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ヒカルのレコード会社変遷回顧

そろそろ『Fantôme』発売5周年が近づいているのだけど、同作に対する距離感って近さと遠さが同居していてとても掴みづらい。フランス語で幻影を意味するその名の通りの掴みどころの無さである。

と感じるのも、理由は至極シンプルでな。ヒカルが2017年3月にエピック・ソニーに移籍したからだ。そこで仕事の連続性の幾つかが途切れた。こちらからしたら、これまた至極シンプルに、ユニバーサル・ミュージック内のURLが軒並み繋がらなくなったというのがその実感の源になっている。

兎に角ヒカルのレコード会社遍歴はややこしい。元々1998年デビュー時は東芝EMI所属で、『First Love』の超特大ヒットのお陰で新社屋が建てられたとか言われる程の「蜜月」だった。のだが、それは原盤権や配給権の話で、出版権に関してはソニーパブリッシングと契約を結んでいたからややこしい。1999年にソニーのMDのコマーシャルに出ていたのも、そういう御縁があったからだろう。

東芝EMIは、当時EMI インターナショナルの日本支部みたいな位置付けだったので世界進出するとしてもEMIインターナショナルからだわなと思い込んでいた2001年、ヒカルは海外での配給にユニバーサル・ミュージックを指名する。2004年の『EXODUS』と2009年の『This Is The One』はUtada名義でそちらから発売された。

これだけでもう十分過ぎる程ややこしいのに、レコード会社本体の方がもっとややこしい進展を辿る。東芝EMIという名で長年親しまれてきた同レーベルから2007年に東芝が撤退、ただのEMI Japanになる。そこから更に5年後、2012年には世界規模でEMI全体が、よりによってUtadaが所属するユニバーサル・ミュージックに吸収されたからもうますますややこしくなっのだ。

ヒカルの方に話を戻すと、上述の通り2004年と2009年にユニバーサルからアルバムをリリースしておきながら2010年にEMIインターナショナルと世界契約を一旦結んだ。ところがご存知の通り翌年からヒカル自身がアーティスト活動から一旦離れた為その契約が実態を伴わないまま、これまた上述の2012年のEMIのユニバーサルへの吸収合併。結局世界契約ごとユニバーサルに引き取られる。

つまり、5年前の『Fantôme』は、ユニバーサル内のEMIレーベルからリリースされた訳だ。その後2017年1月に『光 - Ray Of Hope -』EPを発売して全世界的な好評を博し、おぉやっぱりEMIとの世界契約がそのまま吸収された先のユニバーサルでも活かされたのだなと納得していたタイミングの2017年3月にソニーに移籍するという、もう書き並べてるだけで疲れる経緯を辿って今ここに居る。出版権と配給権の両方がソニーに揃った、という点はわかりやすくなったけど、それ以外はしっちゃかめっちゃかと言うしかないわ。

我々からしたら、『Single Collection Vol.2』と『Fantôme』の間の断絶が凄くて、そのSCV2以前と『Fantôme』〜『初恋』の二枚以後とで頭が切り替わってる感じだが、レコード会社的には『Fantôme』までと『初恋』以降で区切るべき、となっている為にまぁなんというかそこで印象の齟齬が生まれている訳でな。心機一転するのそこかよっていう。いやまぁ『Fantôme』の時点でソニーに移籍されてたらそれはそれで戸惑ったんだけどな。

ただ、このように所属先の変遷は混迷を窮める一方で、スタッフの磐石ぶりが桁違いなのが我々にとっては大きな救いで拠り所。特にA&Rの梶さんとディレクターの沖田さんはデビュー時から一貫してUtada期も人間活動中も含めてずっとサポートしてくれていてそこの安心感が半端ではない。感謝してもしきれない。彼らが元気なうちは、しっかりヒカルをプロモーション&ディレクションしてくれることだろう。彼らの名前が@hikki_staffに名を連ねているうちは安心なのですよっと。