無意識日記々

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『ここが地獄でも天国』

『君に夢中』の『ここが地獄でも天国』の一節を聴いて「一周まわったなー」と思った件。

かつて『In My Room』で

『夢も現実も目を閉じれば同じ』

『ウソもホントウも口を閉じれば同じ』

から

『ウソもホントウも君がいるなら同じ』

『ウソもホントウも君がいないなら 同じ』

に持っていく構成力に唸らされた。特に1stアルバムで顕著なのだが、初期のヒカルはかなり理詰めで作詞をしていた。いや、その後はもっと理詰めなのだが、ちょっと積み上げ過ぎていくので一聴しただけではその理詰めぶりがわからなくなっていったのだ。1stアルバムの頃はまだ歌詞の見た目から理詰めさが伝わってきていた。だからこそ、アルバムの最後の曲の名前が『Give Me A Reason』、「理由が欲しい」であり、更にその曲の最後の最後が「ホントは理由なんて要らない」なのだった。

話を『In My Room』に戻すと、この歌の歌詞は、駄々っ子のように歌われがちな「夢も現実も同じ」や「ウソもホントウも同じ」といったお馴染みな歌詞に『目を閉じれば』とか『口を閉じれば』とかの“条件付け”を確り行った点が際立っていた。ちゃんと理由をつけた、限定的な場面でなら「同じ」になるのよ、と。そこからの、その「理詰め」を崩す存在として『君』が現れる。『君』が『いる』場合でも『いない』場合でもどちらも『同じ』になってしまう。この「理詰めの破綻」の為に前段で冷静で理知的な構築を行うのがこの頃のヒカルの歌詞の作り方であった。『Give Me A Reason』もそうだし、『Addicted To You』のツンデレもその応用だったのだ。『君に夢中』の英語タイトルといわれた曲だわね。

ところがその2021年の『君に夢中』では、本来補うべき“君がいるなら”という歌詞が省略されてしまっている訳である。

『ここが地獄でも天国』

とは、実際は

「ここが地獄でも(君がいるなら)天国」

という意味の筈だし、リスナーも、この歌詞が出てくる楽曲終盤の頃にはそういう内容の歌だと合点しているので然程疑問にも思わない。ここの「(君がいるなら)」は省略してしまって構わない、とそう判断されるに足るタイミングで歌われている。何の問題もない。

しかし、私は、この「実際に歌わなかった」ことは、今ではなく、これからのヒカルの歌詞に影響していくんではないかなと思っているのだ。言うべき事を言わずともわかる設えをしたときには敢えて言わない、という。それは『In My Room』で見せた明示的な構成力より遥かに求められる力量は高くなるのだが、そこに挑戦していくつもりなのではないかなと。まだまだ高みを目指す宇多田ヒカルなのだろうなと。

ただ、その、条件付けを省略された一言だけを耳にした場合はそれは結構「バカっぽい」。作詞の知性が行き過ぎて逆に知的でない歌詞を生んだように見えてしまっているので私は「一周まわったなー」と思ったのでした。ま、直後にちゃんと「バカになるほど」って歌ってるし、ここらへんもまた確信的なのでしょうヒカルとしては、ね。