無意識日記々

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#ヒカルパイセンに聞け2022 で質問するにあたって

『ヒカルパイセンに聞け2022』に沢山質問が集まっていて、いやまぁみんなよくそんなの考えつくなぁという質問が次々と出てきて感心しきりなのだけど、この数、ヒカルさんどう対処すんのかな。枠としては1時間だろうし、もしゲストを招いたり1曲歌ったりしたらますます答えられる質問は減ってくるだろうし。

そこらへん、お互いがどう捉えるか、ですわね。ひとりひとり違うのが前提でいえば、数は少なくてもいいからじっくりひとつひとつ答えて欲しい、つまり自分の質問が読まれることよりパイセンの感性と知見が知りたい、と思うのか、或いは、兎に角何でもいいから自分の名前を読んで/呼んで欲しい、と願うのか。

今までのインスタライブは前者寄りで、たとえ質問者本人でなくてもひとりひとりが考えさせられるようなパイセン回答が聞けるところがよかった。後者のパターンを追究すると、例えばタイムアタック的に(なんか昭和な響きな言葉だな…)短い一問一答を矢継ぎ早に繰り返せば、1時間枠なら100や200答えられるかもしれない。名前を呼ばれた方はその部分を切り取って一生保存しますわよね。毎朝のアラームに使いたくなるなぁそれ…。

なので、訊く方もそこらへんを区別して質問するといい。自分が読まれるかどうかが二の次な人は、じっくりと構えた質問をすればいいし、名前を呼ばれたい人は、瞬時に返答できそうな、例えば「今朝は何を食べましたか?」くらいの、読むのも答えるのも短くてシンプルで済む質問をすればいい。あとはパイセンがよしなに対応してくれると思うので、自分がパイセンに対してどうして欲しいか、今一度内省して検討してみるといいだろう。

だけどいちばん大事にしたくなるのは、なんだかんだで人生相談タイプの質問だ。進路を悩んでるとか、介護の末期でさてどうしたものかとか、真剣な悩みとなるとパイセンとしてもなかなか見過ごせない。前の問答でも、私が「あ、これ読まれるかも」と思った質問が2つほど読まれた。何か「これは放っておけない」と思わせる、パイセンのアンテナに引っ掛かるものがあると、これは読まれる。読まれたい呼ばれたいより、もっと切実な何かがあるともうそれは別枠だ。

そもそも、「ヒカルパイセン」という呼称自体が「人生の先輩としてのアドバイス宇多田ヒカルが伝える」事を主眼のしたものだ(…よね?)。だったら真剣な人生相談が選ばれるのは妥当な話であって。それに、そういう真剣な悩みはなんだかんだで多くの人に当て嵌まる事が多いので、ひとりに答えることで多くの人々に参考になる結果を齎すだろう。

…なんだか当たり前な事を書いてる気がするが、基本を踏まえるというのは常時何にも増して大切なことだと思うので、春の立つ今朝に書いておくことにしておきましたよっと。今月も変わらず寒いけどなっ!