無意識日記々

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アルバムで印象をより鮮烈にした『Time』

初めてアルバム『BADモード』で『Time』を聴いた時、その鮮烈さにかなり驚愕した。2020年5月に発表されて以来何百回と聴いてきて慣れ親しみまくっているこの曲がどうしてここまで違って聞こえるのか!? アルバムリマスタリングの効果も勿論あるだろうが、やはりそこは曲順の妙だったのではないか。『PINK BLOOD』の次、というのがやはりポイントだったのだ。

『PINK BLOOD』という歌は、かなり大雑把に分類すれば『Passion』の系統に近い楽曲である。どこか人間味のないコーラス(『ダレ・ニモ・ミセ・ナク・テモ…』etc...)、どこからどう打ってるかよくわからないリズムパターン、捉えどころの一切無いアレンジと、兎に角とっつき辛い所が結構共通している。その上、どちらの歌も「歌詞が基本的に独り言」なのだ。誰に対するでもなく、ずっと自分自身に言い聞かせる言葉が並ぶ。例えば『PINK BLOOD』では『あなたの部屋に歩きながら』と一度だけ『あなた』という単語は出てくるが、これはその“あなた”に向けて歌った訳でも何でもない。主役は自分が落とす涙の方だ。

『Passion』も同じ系統だった。同曲の歌詞にも呼び掛けたり訴え掛けたりする「君」や「あなた」は出てこず、辛うじて『僕ら』『わたしたち』が出てくるのみ。確かに独りではないのだけれど、とことん自分自身との対話となっている。抽象的で捉えどころの無い雰囲気からラスト付近でとっかかりのあるキャッチーな歌メロがやっと出てくる構成も、『Passion』と『PINK BLOOD』は共通しているわね。

翻って、『Time』は徹底的に「あなた」に訴え掛け続ける歌だ。

『あなたが聞いてくれたから』

『あなた以外の誰が』

『抱きしめて言いたかった、好きだと』

『誰を守る嘘をついていたの?』

なんていう風に。そして最後には

『友よ

 失ってから気づくのはやめよう』

だなんてかなり大仰な台詞が飛び出すまでになる。そこに到るまでひたすら言葉を投げ掛け続けるのだ。歌詞の示す物語としては、この魂の叫びの数々を果たして実際にその“あなた”に対してぶつけたかどうかという所がひとつ焦点にはなるのだが、ただ歌を聴いている我々としては別にそこに拘らずともその切々たる思いの丈の強さを感じ取れていればそれでいい。

この、能動的に訴え掛ける指向性と積極性を、ヒカルはメロディと歌い方で表現するのに物凄く長けている。『Passion』や『PINK BLOOD』が“そこに在る歌”である一方、『Time』のような歌は“届ける歌”/“伝える歌”であって、そういう曲調の時宇多田ヒカルの歌唱スタイルはその長所を存分に発揮する。

アルバムリスナーは、まず『PINK BLOOD』に対して、こちらからやや踏み込んで幾許かの注意力を払って耳を傾けている。幾らかの負荷がそこに生じているのだ。他方、『Time』では、こちらから踏み込んでいかずとも、ただ受身でいるだけでヒカルがその長所を活かしたエモーショナルな歌唱によってこちらに歌を届けてくれる。その意味において、リスナーの心持ちとしては些か楽ちんなのである。…もっとも、そうやって届けてくれたメッセージの熱量を消化するためにまた別のエネルギーを費やさなければならないのかもしれないが。

なので、このアルバムの流れで『Time』を聴いた時に我々は、そのエモーショナルな曲調とは裏腹に、リスナーとしての負荷から解放されてほっとひと息つけたりするのであった。『Time』でのヒカルの歌唱がアルバムの流れでより鮮烈に輝いたのは、そういったマジックがあったからではなかろうかな。

うむ、概念的、抽象的な歌はリスナーに負荷が掛かりがちだというのは、なんとなく覚えておいて損は無いと思うぜよ。