無意識日記々

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お金ならあったわよ

前回『気分じゃないの(Not In The Mood)』の

『I've been quiet』

の2回目を私は

『私は殆ど誰とも話しませんでした』

と訳した。1回目の『私は独り静かに過ごしてました』に較べて意訳が過ぎるのだが、どうしてもこう書きたかったのよ。

“殆ど”というのは、最低限の遣り取りはあっただろうからだ。2021年12月28日のヒカルは、日中はカフェでコーヒー(或いはコーヒーカップに注がれた他の何か)を注文するときに店員さんに話し掛けただろうし、夜にバーで傾けているスコッチもバーテンダーに頼んで出して貰ったものだろう。会話自体はなくはなかった。しかし、それもほんの一言二言言葉を交わしただけだったんじゃないかなと。こういうのを会話とも言わないだろうしね。

ポエムを買った時はどうだったか。ヒカルはこう言っている。

『And I said "sure", and I bought it.』

「私は“えぇ”と言って、その詩を買いました。」

そう、ここでもほんの一言だけだったようだ。つまり、この日、ヒカルは他人とお金の遣り取りくらいしかしていなかったのではないだろうか。

それを匂わせるのが

ロエベの財布から出したお札で

 買った詩を読んだ』

の一節である。ここ、歌詞の流れの中では必ずしも必要ではない。それこそ「私は“わかりました”と言ってその詩を買った」とかそんなんで十分なのに、わざわざ財布やお札といった単語を出してきている。

他の意図もちゃんとありはする。貧富の差の表現である。LOEWEというブランドのチョイスがCHANELやVUITTONとは一味違うのだがまぁそれはヒカルが実際に持っていたということだろう。ちゃんとした財布からお札、コインでなくお札を取り出した。それはつまり今夜シェルターに泊まるために十分な金額を渡したということだ。富める者から貧しい者への施しであったと。勿論ヒカルはそれを自慢したい訳でなく寧ろこういう現実の中で自分に出来ることはこれくらいしかないのかという諦念を感じさせる淡々とした歌い方だったりするんだけど、それと伴に、ここで財布からお札を出してそれを渡しクリアファイルの中身と交換するという遣り取りが、その日唯一ヒカルを“見つけた”人との「会話」となっていた事をここでは表現しているのだと思う。そうしてヒカルが手に入れたのは彼女の書いたポエムとこの歌の歌詞であった。ある意味ヒカルはそのお札で歌詞のネタを“買った”のである。

そういったことを踏まえた上でもう一度

『I've been quiet』

即ち

「(今日の)私は静かでした」

という歌詞を耳にすると、嗚呼ヒカルはこの日一日、出来るだけ自分からは外の世界に対してはたらきかけずに「ただ見る者」として過ごしたんだなぁとそんな感覚に囚われる。そんな中で、自分が世界に意図的に及ぼした影響はコーヒーの代金とスコッチの代金とポエムの代金をそれぞれ支払った事であった。故にこの歌には『ロエベの財布』と『お札』という単語を入れておく必要があった。それがその日のヒカルの、唯一と言って良いアウトプットだったからである。それもその日ヒカルが目撃した出来事のひとつだったのだ。そうしてヒカルは作詞を終えた。この歌は終始揺蕩うような曲調だが、否応無しに世界の現実を痛感させられる為、浮ついた感触がまるでない。切なくて、リアルで切実で、しかし、やっぱりヒカルの目の遣り方は途轍もなく途方もなく優しい。ほんとに奇跡を超えた歌だわ。