無意識日記々

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宇多田ヒカル、覚醒!?

『気分じゃないの(Not In The Mood)』のその“奇跡っぷり”について今一度振り返っておきたい。前回、「〆切当日に作詞に悩む作詞家の元に何故か図ったようにポエムを売る女性が話し掛けてくる」点について指摘したが、この恐ろしい偶然に加えて更に─こちらの方をヒカルはより強調しているが─、「その人の目的が雨風をしのぐ(シェルターに泊まる)こと」だったのが、より凄い。何故って、そう、もう既にその時点で

『Rain, rain go away

 Fall on me another day

 Rain, rain go away

 I'm not in the mood today』

『雨、雨、どっか行け

 また今度にして

 今日は気分じゃないの』

の部分の歌詞が既に出来上がっていたからだ。明らかにこの歌の中の人は、雨を避けようとしている! 作詞中に詩を売る人に話し掛けられるだけなら偶然で済ます事も出来ようが、そこで途中まで作詞していた歌の中でその人の感情/志向が既に表現されていたとなるともうそれは天文学的な確率となるだろう。チンパンジーがタイプライターでシェイクスピアの戯曲を書き切る位有り得ない。まさにシェイクスピアだって驚きの展開that's life そのものですよ。

この、ヒカルの歌詞の「予言力」については、いつもいつも触れている通り、『Single Collection Vol.1』で象徴的に

『--- lyrics that become self-prophesies』

と書かれている。自己予言を成就した歌詞があるのだと。

この時点では"self-prophesies"、自己予言に留まっていたのが、今振り返ってみればその"self"の部分が要点だったのだろう。selfというのは色々と解釈に余地があるが、ひとまず「ヒカル自身」の事と捉える事も可能かと思われる。当時は、歌詞が予言をするとしても、ヒカル自身についての話で終わっていたのではないだろうか。

それが今や、周囲で起こる事にまで波及し始めた。それが『気分じゃないの(Not In The Mood)』だ。ヒカル自身のみならず、予言的な摩訶不思議な現象が周りを巻き込み始めている。

私の勝手な連想だが、なんだかこれ、漫画「ワンピース」の「悪魔の実の能力の覚醒」を思い出すんだよね。悪魔の実を食べる事で得られる特殊能力は基本的に食べた人自身にしか波及しないのだが、「能力者自身の心身が悪魔の実の能力に追い付いた時、能力は“覚醒”して能力者のみならずその周囲にまで影響を及ぼし始める」んだそうな。漫画の設定を持ち出して現実を語ろうとは倒錯も甚だしいのだけれど、もうこれ私には、ヒカルがその“覚醒”を起こしているようにしか思えなくってね。

だが、「ヒカルがやっと自らの心身を、その持っているポテンシャルを引き出せる位に調える事が出来てきた」とかいう風に捉えれば、たとえ漫画の設定から得た連想であろうとも、どこか真実を捉えた感覚が少しずつ生まれてくる気がするのよねぇ。だってここでシンプルに

アルバム『BADモード』に於いて

いよいよ宇多田ヒカルの能力が覚醒を始めた!

って書いたら、「あぁ、そうかも」って思えてこない? なんかね、違うのよ今のヒカルは。昔の状態から更にとんでもなくなってる気がする。でも、そんなになっても、普段喋る時のおっちょこちょいぶりは、昔とそんなに変わらないよね。そこがいちばん凄いかもな。