無意識日記々

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"watch out"の受け身感

例えば『Find Love』のこの一節。

『So I gotta watch out

 Who I share my affection with』

ここをグーグル先生が訳すとこう。

「私は誰と愛情を分かち合うかを見守らなければなりません。」

"affection"をどう訳すかは『Find Love』の大きなテーマの一つだが、ここではオーソドックスな「愛情」を採用している。これは「"my" affection」なのがポイントで、ニュアンスとしては「私の持ってる愛のエネルギー」とでもいう感じだろうか。そのエネルギーを共有する相手は選ばないといけないよね、という話だ。ここの続きの歌詞をみればそこはわかりやすい。

『Until I find love

 Cuz I'm way too affectionate』

「私は愛情が深すぎるから、

 愛を見つけるまでは」

と。これらを繋げてグーグル先生に訳して貰うと

「私はあまりにも愛情深いので、愛を見つけるまで、誰と愛情を分かち合うかを見守らなければなりません。」

こんな感じ。愛のエネルギーが有り余ってるのでなんとかせんといかんのだが相手を間違うとまずいぞよ、っていう意味だろうね。

だが、これだけだとシンデレラみたいに救いの手を差し伸べる王子様が現れてくれるのを待っていると解釈出来なくも無い、というのが、前回の最後に指摘したかった点なのだ。"watch out"、見張るとか見守るという言い回しが、どこか受け身な雰囲気を漂わせているのよさ。

日本語版の『キレイな人(Find Love)』の方では

『王子様に見つけられたって

 私は変わらない』

と歌っていた。受身な態度からいちばん遠い、積極的な「私次第」感。これ、上記の英文で「誰を選ぶかが大事だ」と言っているのとかなり対照的ではないだろうか。相手ではなく、私自身の問題なのだ、と、日本語の方では言っているように思われる訳である。これはいったいどういう事なのか、という話からまた次回。