無意識日記々

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コンセプト「自分との関係」についての再考

アルバム『BADモード』全体のコンセプトの起点となったのは、この2021年5月5日のヒカルの発言だった。

@utadahikaru : In the past, my songs often focused on my relationships with other people. My new album is shaping up to be more about my relationship with myself. #FromHikaruPaisen

https://twitter.com/utadahikaru/status/1389868977296379907

グーグル先生に訳して貰うとこう。

「これまでの私の歌は、他の人々との関係に焦点を当てていました。私の新しいアルバムは、私自身との関係をより重視したものになりつつあります。」

おぉ、精度が高いね。御覧の通りだ。今回「Songs Of Tokyo」で日本語にして語ってくれたのと比較すればわかりやすい。

『他者との関係を歌にすることがそれまですごく多かったんですけど、今回のアルバムでいうと、それもありつつ、それを通して自分との関係にもっと目を向けた曲が多かったですね、テーマとして。』

ほぼまんまだね。

で。このテーマ/コンセプトに合点がいくかどうかというのが、サウンドはさておいて、『BADモード』の詞世界に馴染めるかどうかの分かれ目だろう。

しかし、これ、なかなかすぐにはわかりにくい。「関係」というのは、異なる者・モノ同士の繋がりについての概念であって、「私自身」というのは「私」と同じなのだから、そもそも繋がりとかそういうのって考えることが出来るものなのか?という疑問を誰しも持った事だろう。

ここらへんの疑問感に対しては、ヒカルによる同じく「Songs Of Tokyo」においての以下の発言が幾らか参考になるかもしれない。

『ずっとありのままのつもりではいたんですけど、でも、自分で思うありのままの自分ていうのが多分わかってなくて、そこが一致し始めたから、ほんとにもっと直でわかりやすくありのままに感じて貰えるのかなって思います。』

即ち、ここに於いてヒカルは、これまで、

『自分の思うありのままの自分』

「(実際の/本当の)ありのままの自分」

との間にズレがあったと語っている訳である。これは、「私と私自身との関係」の一例とみることが出来るのではないだろうか。

「(実際の/本当の)ありのままの自分」というのはブラックボックスで中身を直接みることは出来ないものだと仮定する。すると、「こんな風なんじゃないかな」という想像を元にして、そのブラックボックスに様々なアプローチを施すことができる。例えば日常の一場面である振る舞いをした場合それは正直な気持ちからだったのだろうか、なんてことを自問自答する事になる。本当は後ろの列を気にせずにお財布から小銭を全部出してピッタリお釣りなしで払いたかったんじゃないの?そこのところどうなの?みたいな感じで自己との対話を続け、局面々々での反応をみて「本当のありのままの自分」を炙り出していくプロセス…これはまさに「自分自身との関係」を深めていく過程なのではなかろうか。

これは、例えば「自分自身を知ることの恐怖」にも通じる。恐怖とは「得体の知れない何か」に対して感じる感情だ。何をしてくるのかわからない、いつしてくるのかわからない、何をしでかすんだこいつは!という未知なる対象に対する気持ちを自分自身に対して抱くからこその「自分自身に対する恐怖」。これが、自分自身を知ることで昇華されていく。知れないモノは知ることで克服できるのだ。ここらへんが、アルバムのメイン・コンセプトである『自分との関係』をしっくり掴むとっかかりと成り得るのではないだろうか。

こういうのを軸にして、応用編になるのが、例えば今回「CDTV LIVE LIVE」で歌ってくれた『君に夢中』とかなのだが…という話は長くなるのでまた次回、かな。