無意識日記々

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ホランちゃんぶっとぶ

「SONGS OF TOKYO」はアーカイブ配信が即座に始まった。それも10月26日まで観れるというのだなら2ヶ月以上か。存分に堪能させて貰おう。来週は来週でTBSがあるし、いやもうほんと忙しい(満面の笑み)。

その「SONGS OF TOKYO」では司会/MCの2人の取り合わせも面白かった。村上信五が所謂「一般視聴者」、宇多田ヒカルの名前は知ってるけど普段追いかけてる訳ではない音楽リスナーの代弁役を務め、ホラン千秋がもう少しツッコんだ、やや熱心なファン寄りな姿勢で臨むという二面体制。28分間の番組であらゆる視聴者を満足させる事は難儀だが、これならかなりの割合の人にヒカルの言葉が届いたのではないかなと思われる。

特にホラン千秋の話の振り方がNHKらしくなくてよかった。普段のNHKといえば(って普段私テレビつけてないけどね。ラジオは聴いてる。)、素人インタビューですら台本を押しつけることで有名である。まぁそれは民放も同じだと思うが歴史がいちばん長いからね。こういうトーク番組も一見フリーにみえて総て台本通り、即ちまるごと御芝居であることも多い。そりゃ有働ちゃんも出ていくっちゅーねん。

だが今回のホラン千秋の喋りは台本に書けるものではなかった。なかなかにぶっとんでるものもあったな。例えば『BADモード』の歌詞の解釈について「最初は傷つくのが分かっていても飛び込んでいってたけど、後から“今回は間違えないように”と大事に行った恋」と解釈していて、普段かなり脇に逸れた妄想系解釈を垂れ流してる私も「その捉え方は考えつかなかった!」と驚いた。いやぁ、やられたねぇ。

私はよく知らないが、恐らくホランちゃんて普段からヒカルを聴いてきてるんじゃないかな。今回の歌詞の受け取り方も、「これは『This is Love』の『悪い予感がするとわくわくしちゃうな』の一節を念頭に置いてるのではないか?」と私なんかは推理した。同じように鮮烈なアルバムのオープニングを飾るアップテンポなナンバーだしね。彼女の中でリンクしたのだとしたら結構合点がいく気がする。

『BADモード』本来の作詞者としての意図は先日の「ライブ・エール」でヒカル自身が話していた通りだが、番組内での役割分担としてホランちゃんは、そういった“正統的”ではないいちファンならではの目線を投入する役回りだったので番組構成上は正解だったといえるだろう。

それに、作詞者としても「自分に思いもよらない解釈」に巡り逢うのは楽しみの1つだ。誤解されてるなら何がどうなって誤解されたかを解析して今後の作詞に活かすことも出来るしね。ここを聞き落としたのか、なら次はもっとこういう一節は目立つように設えよう、とかね。参考になることも多いのだ。

大体、今のヒカルの作詞術の方向性ってずっと「まるで異なる、時には正反対の解釈のどちらも正解になるような」作詞が続いている。『Goodbye Happiness』や『Can't wait 'Til Christmas』のようなね。今回の『BADモード』も「親友への思い」と「息子への願い」が掛け合わされて作詞されている(と私は解釈している)ので、読み取り方に幅が出てくるのは自然な流れで、歌詞の拾い方によっては全く別の解釈も生まれ得るだろう。ホランちゃんの発言はそのひとつの実例になっていて大変よかった。何より、こうやって自分の言葉で伝えてくれて(それをNHKがそのままワールドワイドに放送して)いたのが嬉しいし有難い。ヒカルも刺激になったと思うよ。今頃次の作詞に活かしているに違いない。私ゃそう踏むぜ。