無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

時間が経ってもますますわからず

でその『First Love/初恋』で15歳の頃のヒカルの写真が出回った事で改めて今のヒカルの異様な若さがクローズアップされている(主にファンダムで、だが)。同じアングルの宇多田ヒカル古今東西を投稿してくれてる皆、仕事が早いな!(笑)

で。ここで強調しておきたいのが、「大人びる」ことと「老いる」ことの違いだ。確かに15歳のヒカルも39歳のヒカルも変わらず若々しく、いやほんと何食って生きてんのとしか思えないのだが、やっぱり今の顔の方が大人だ。それは老けたというより、物事を知り熟慮を知り視野が広くなり向こうがよく見えるようになった事が今の表情に(何故だか)表れているからだろう。それだけ15歳の頃のヒカルの表情が世間知らずで視野が狭く向こう見ずな性格だったようにも見えてる事になるのだが、当時宇多田ヒカルに触れた人は「こんなにも先を見通せる15歳が居て堪るものか!」「この人、人生何周目?」と言われるほど達観した印象を与えていたのだ。『time will tell』みたいな歌詞でデビューしたからだったが。

比較というのは恐ろしい。今のヒカルが1999年当時には考えられない所にまで到っている事に、我々は中々気付けない。23年間の経緯をリアルタイムで知っているからだが、こうやってその途中をすっ飛ばして眺めさせて貰えると改めてそのとんでもなさが浮き彫りになる。

そして、恐らくだが今後、「老い」も少しずつテーマとなっていくだろう。今までは成長に次ぐ成長で、「昨日出来なかった事が今日出来るようになる」の連続だったのが、いつの間にか「昨日出来ていた事が今日は出来ない」になっていく。今でも既に「もう徹夜で飲めない」とかそういうこともあるんかもだが、今後は仕事面でも出てくるかもねぇ。今すぐという訳ではないのですが。

ヒカルも生身だ。いつかは老ける。だが、同時に、人間はそれだけではない。足腰が弱っても、音楽家としての成長はあらゆる面で見出すことが出来ていくように思われる。まぁそもそも成長なんかしなくてもよい。歌というのは、クォリティ云々の前に、歌う人と聴く人の気持ちがどうなるかなのだ。それぞれの今にテーマソングが要るのよやっぱ。

確かに『First Love』をリリースした頃のヒカルは今と較べればものも知らずヒカル本人からしたら恥ずかしい面もあるかもしれないが、だからこそ今聴いて共感出来る人もいるし、確立した安心や思い入れの拡がりはこの曲にしかないものなんだし。同時に、『初恋』にはその頃にはなかった良さがわんさと詰め込まれている。歌は世につれ世は歌につれとは言うけれど、歌は人に添い人は歌と在るのもまた真実。その時その時の良さを味わうのが、成長や老いに対するいい生き方なんだと思います。