無意識日記々

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仕草脳内検索

昨日の当日記、朝が「一言で済む話を引き伸ばしたヤツ」で、夜が「3倍の字数要るのを無理矢理まとめたヤツ」になってて、足して割れたらちょうどよかったなと反省中。なかなかサイズを一定にするのは難しいね。ひとつのネタを引っ張り出して何を語れるかは引っ張り出してみないとわからない面もあったりで。

さて。『40代はいろいろ♫』アーカイブを観ていて「何故にこうもヒカルパイセンの一挙手一投足に心を動かされるのか」と疑問に思い自分の脳の挙動を探った所(言い方が大袈裟だな)、なるほど、ひとつひとつの仕草や表情についていちいち類似のムーブを脳内過去から検索してきてるな。それに沿って「ヒカルがこんな動きをした時はこんなことを考えているな」とか「この目の動きをした時、次はこんなことを話すな」とか逐次予想や解釈を施しているみたい。

そんな中で引っ張り出してきた過去のデータが思いの外沢山連なってたり、エモーショナルな瞬間と紐付いていたりするとこちらのキャパが一瞬でオーバーフローする。なるほど、毎瞬々々可愛い可愛いと感じる仕組みの一端にはこういうこともあるものなのか。

となると、これって過去にどれだけヒカルの映像/動画を観てきたかで感想が結構変わってるってこと?? 最近ファンになった人とはそもそも見方が違う?

なんか案外そうでもない、ようにも思える。萌えポイント的なとこは結構おんなじようだしな。それに、当然というかなんというか、過去にみせなかった動きや表情がみられることもあったりで、そういう時は条件は一緒になるもんね。それはそれで素直にドキドキする。

ヒカルさん本人が人生の長さとその蓄積を一瞬々々に表現する一方で、こちらも、人生丸ごとの長さには全然足りないまでも、24年間積み重ねてきた細切れのデータでそれらを読み取っているのだとすると、これ年々交歓の強度が上がっていってるってことで、いや何というか果てしないですわ。嬉しいことだけど。

もっとシンプルに、例えば2010年の『Goodbye Happiness』のビデオでは、1998年の『Automatic』、2001年の『traveling』、2006年の『ぼくはくま』或いは2008年の『HEART STATION』といったその時点での過去曲へのオマージュを入れることでファンの感涙を誘ったが、それと似たような事が、ただヒカルが喋ってるだけの映像でも起こっているということかな。…なんだろう、うちら結構うざがられてやしないか?大丈夫か?(笑) 重いファンといえば重いファンだな…今更ですが。

なるほど、これもしかしたら、藤圭子世代の人が今のヒカルをみて仕草や表情から圭子さんの事を思い出したりしたらなるほどエモーショナルだわなと余計な感想も抱いてみたり。閑話休題

そうやって過去に積み上げてきたものに基づいて今のヒカルを解釈し、またその経験丸ごとが未来にはまた新しい過去となって新たに積み上がっていく。ひとりの人をずっと見続ける事の醍醐味を感じつつ、たまには忘れてあげる事もきっと大事になっていくよねぇと未来に思いを馳せるのでありましたとさ。