無意識日記々

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女神さまの恩恵に与る覚悟の程を。

セレンディピティの女神さまは『FINAL DISTANCE』に始まって一体どこまで来たかというと、『気分じゃないの(Not In The Mood)』だ。あれはおかしい。

「“雨雨どっか行け”という歌の歌詩を書いていたら風雨をしのぐ為に詩を売りに来た人に話し掛けられた。」

どう考えてもおかしい。「運命に導かれた」としか思えない。しかも〆切ギリギリでな。

ついこの間WBCで「投手大谷と打者トラウトの夢の対決が実現したら凄いだろーなー。でもローテーション的に可能性は限りなく低いな」とか言ってたら実現するどころかシチュエーションが決勝戦の九回裏1点リードツーアウト、つまりここで優勝が決まる場面で2人が相対した。時に現実はこちらの空想や希望を軽々と超えてくるのだ。

だけどヒカルさんのは更に異次元だった。空想や希望すらしなかった、そんな事が起こり得る事すら事前に想定できなかったことを現実に起こさせる。発想とは大抵夢から始まるもの(「あったらいいな」)なのだが、現実から始まることもあるのだ。運命のような現実が。

とはいえ、原点まで振り返ってみると、そもそも宇多田ヒカルという人物自体が「こんな人間が有り得るだなんて事前には想像もつかなかった」人だったりする。外形的な事実を述べるだけでも、例えば「母親は37週連続1位の記録を持ち、娘は市場史上最高売上の記録を持っている、そういう母娘。」という設定。これ、恐らくシリアスな物語で似たようなストーリーを作った人間は藤圭子宇多田ヒカル親子出現以前には存在しないのではないか? ギャグ漫画や喜劇ならあったかもしれないけど。この設定を投げつけられた瞬間、その人は物語をシリアスに捉えられなかったろうさ。

こちらとしては「歌が上手くて作詞作曲編曲も抜群な人物の人間性が今まで見てきたどの人間よりも、どの創作上の登場人物よりも素晴らしい」という事実に当初目も眩むような思いがした。「そんな物事が何もかも上手くいくことがあるものか」とそれまでは思っていたのだが、次第に直ぐに、「本当かどうか疑うよりその事実を目一杯楽しんだ方がいい。出来るだけ享受した方がいい。」と思い直して今に至っている。人間的にシュリンクすることなく、更に積み重ねて「宇宙一イイ女が更に毎日磨きをかけ続けている」という事実を目の当たりにし続けて今に至る。正直今ここで「今までのは総て夢でした」と言われても納得せざるを得ない。惨たらしい現実を認めるのはいつだって辛いことだが、素晴らし過ぎる現実を受け容れるのもまた躊躇われるものなのだ。そう、こういうときにちゃんと素直に「超ラッキー! ごっつぁんです!」って言えないといけないのよ。私がこの2日間語っている内容は、過去の自分に対する戒めであったりもする。

そんな宇多田ヒカルなのだから、セレンディピティを拡張し始めたとしても何ら全く不思議ではないのだ。なので、自分にとって当たり前の事だったので付言し忘れていたが、ヒカルの語ることは何であれ徹頭徹尾信じることにしている。「そんなことあるわけないじゃん」とは全く思わないのだ。もしかしたらヒカルもたまには嘘を吐くことがあるかもしれないが、その時は全力で騙されるのみである。だってヒカルは欺かれて欲しいからうそをつくんであってね。だったら欺かれてやろうじゃないの。勿論、見破って欲しいと思って吐く嘘もあるかもしれないから、そん時ゃ全力で見破りにかかるさ。

今後ヒカルがどれだけ偶発的想像、創発的事象顕現をもたらしてくれるか全く想像がつかないが、それらを全力で受け容れる心の準備だけは怠らないようにしておきたい。望外過ぎる喜びに全力で食らいつく。それが24時間365日か366日、毎日毎瞬出来るように心掛けていきたいものです。次は『気分じゃないの(Not In The Mood)』より、更に先に進んでると思うから。