24年も経つと世の世相も移り変わり今からヒカルの昔の歌を初めて聴く人、特に若人は歌詞の解釈が違ってきそうよねあたしみたいなリアルタイムで通過してきた人間と較べると。
かの有名な『Automatic』の2番のサビの歌詞なんて象徴的だろうな。
『It's automatic
アクセスしてみると
映るcomputer screenの中
チカチカしてる文字
手を当ててみると
I feel so warm』
いやもう、ほんとニュアンスが変わってしまったというか。1998年当時はね、部屋に置いてあるパーソナル・コンピュータというのは時代の最先端で(NECがキットを発売してから20年近く経ってたけどね)、Window95登場以降漸くインターネットをする人口が揃ってきたかなという程度だったのだ。そんな中その「最先端機器」であるところのコンピュータというのは一般庶民には理解し難い存在できっと我々の素朴な不安とかわかんないだろうなという意味も込めて「冷たい機械」だという風に捉えられていた。そこにこの歌詞が現れたのよ。「ちょっと待ってよみんな冷たいっていうけど画面触ってみ?暖かいよ?」という物質的五感的感触と、「インターネットで繋がった人との言葉の遣り取りで心が暖かくなる」という(当時は)現代的且つ大変情緒的な感慨を掛け合わせてこの『I feel so warm』の歌詞が出来上がっていたのだ。時代の最先端の感覚のほんのちょっと先を15歳の少女が見事に歌い上げた。俵万智のサラダ記念日もかくやという位、単なる歌謡曲というだけでなく詩歌としての価値も見出される程だったのだ。
しかし今はどうだろう。そもそもお家にパソコンが無い。学校や職場でしか触らない子達も多いという。毎年パソコンの出荷台数減少のニュースを耳にする。大体タブレットとスマートフォンで事足りてるもんねぇ。そんな御時世ではまずお家のパソコンでインターネットをして人と繋がるという行為自体がレトロだろう。更に、「画面を触ると暖かい」というのはもっとレトロだ。パソコンは家に無くても触ったことならあるよという人も、モニター画面は液晶か何かで熱なんかまるで持っていない。そもそも今の子達にとって画面ってタッチスクリーンで「触るもの」である前提なのでもし暖かかったりしたら「熱暴走かな?」「負荷を掛けすぎたか??」みたいな風にトラブルの端緒という印象を持つんじゃなかろうか。間違っても「昔のモニター画面はブラウン管といって電圧を掛けて電子線を画面にぶち当てる方式だったので画面が熱を持つものだったのよ」という“あの頃の常識”には辿り着けないだろう。
そう、最早『Automatic』の歌詞は、「パソコン」と「ブラウン管」という2つのレトロを知らないと意味のわからない歌詞になってしまったのだわ令和現在。
これが『Movin' on without you』の『枕元のPHS』のようにほぼ完全に終焉を迎える技術の単語であれば「全く知らない」ので検索するなり自分で意味を勝手に想像するなりで完結してくれるのだが、『computer screen』という単語はまるっきり知らないものとまでは言えないから、検索も想像もせずそのまま解釈しようとするかもしれない。そうなるとこれが本来は「デスクトップパソコンのブラウン管」であるところを、「ノートパソコンの液晶タッチパネル」だと誤解してそのまま『I feel so warm』に込められた小洒落た情緒をスルーさせてしまう恐れがある。これは大変勿体ない。
そもそもブラウン管でないと文字がチカチカしたりしないんだが昨今のWeb広告は動画が多くて文字をチカチカさせたりする事結構あるからな~深夜の静かな暗い部屋で「チカチカしてる文字」をみるときの寂寥感とかまるで伝わらずに「なんか煩わしくアピールしてくる広告か何か」と誤解されたら目も当てられない。そこまではいってないと信じたい…。
こういう由々しき事態が起こり得るのがベテラン・アーティスト/作詞家の宿命なのだ。だからこういった「当時の世相を振り返りつつ歌詞を解説する」タイプの新しい『宇多田ヒカルの言葉』シリーズの刊行もそろそろ計画していい時期かもしれないわねぇ。