無意識日記々

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異言語作詞で与る恩恵

『Rule』と『Me Porto Bonito』によって宇多田ヒカルが日本語と英語以外の言語で今後も歌う可能性が高まってきた事が示唆されている。

フランス語では既に歌っているしイタリア語も結構分かるだろうし、、、というところにスペイン語まで食い込んできて。となるといやもう英語もわからないのにますます歌詞が分からない事態が増えるなぁ、というのが日本語圏民の偽らざる心境なのではあるまいか。

私自身も英語なら何とか、とは思えても他の言語はからっきしなので五十歩百歩。同じ心境になるといえばなるのだが、わからないならわからないなりにちょっと楽しみなこともあったりする。それは、「歌詞がメロディに及ぼす影響」だ。。

『光』と『Simple And Clean』の関係性で既に周知だろう、作詞家宇多田ヒカルUtada Hikaru)は言葉の意味や語幹や音韻などを鑑みて、同じ楽曲であってもメロディをところどころ変えてきたりするのだ。基本曲作りはメロディ先行ではあるのだが、だからといって必ずそのメロディに固執する訳ではなく歌詞に応じて臨機応変に対処する。詞と旋律の主従関係は必ずしも固定されていないという訳だ。というか、そもそも主従じゃないんだろうね。

そして、ヒカルはそれぞれの言語に於いて「一定の性格」が出る。最近はその傾向がやや薄れているが、若い頃は「おちゃらけ気味でハイテンションな明るい日本語のヒカル」と「相変わらず早口ではあるもののやや落ち着いた口調で話す英語のHikaru」という違いがあった。

その違いは『光』&『Simple And Clean』のメロディの違いそのものでもあって。弾けるように煌めく前者のメロディと、低音を活かして少しシックに迫ってくる後者のメロディと。日本語話者ヒカルと英語話者Hikaruの違いそのままであったのだ。

そういった特徴が、もし今後フランス語やイタリア語やスペイン語での作詞作曲に絡んできたらどうなるか。歌詞の意味自体はチンプンカンプンであっても、メロディの違いは何となくわかる。なので、「スペイン語で歌うときのメロディの運び方」や「フランス語で歌うときのメロディの運び方」を知ることで、「スペイン語で話すときのイカルパイセン」や「フランス語で話すイカルパイセン」の性格が夫々少しずつ垣間見れたりしそうで、それが楽しみなのですよ。(ってそんな風に今書いてて思ったけど、スペイン語圏やフランス語圏でのHの発音ってどう扱われてるの? ちゃんと「ヒカル」って言って貰えてるのかな? 知らないや。)

そしてそれ以上に楽しみなのが、そうやって多言語での作詞に挑んでいく中で、作曲家宇多田ヒカルが今までにはなかったタイプのメロディを歌詞に引っ張られるカタチで生み出し始めるのではないか?という点だ。これ、なかなかないよ? デビューして四半世紀経とうとしているシンガーソングライターが新しい言語を習得することでメロディに新境地を拓いていくとか。ちょっとかなりワクワクが止まらないわ。うーん、マンネリと無縁過ぎて怖いくらいだ。

もちろんそれらの予想は単なる願望いやさ妄想に過ぎないんだけど、未来にそんな期待を抱かせてくれるってだけでもう既に大変嬉しいですよ。「これだけでご飯3杯食える」ってヤツ。そうなるにしろそうならないにしろ、既にヒカルさんには毎日こうやって楽しませて貰ってて感謝感激雨霰なのでした。