昨夜のインスタポストすげーな。
@kuma_power:『「8ヶ月半で167冊読破した!」 NYの実家の荷物整理したら小学校2年生の時のリーディングジャーナルが出てきた。子供向けの小説毎日一冊読んでる時期とかもあってビビる、記憶してたよりさらにナードだった』
https://www.instagram.com/p/CsoC-SNs041/
8ヶ月半で167冊というのも凄いし、それについて手書き文字で克明に一冊々々書き記し残しているのも凄い。自虐的にnerd(ヲタク)だと言っているが、それは読書量の多さと速さよりも寧ろこのノートを作っていたこと、このノート自体から来る威圧感みたいなものを指して言ってる気がする。
しかしなるほどこの読書量、『40代はいろいろ♫』の人生相談(?)で「まずインプットを」と主張していたのもよくわかる。自分自身が圧倒的なインプットの恩恵を受けて(というか自分で身につけて)きたという実感と経験が強かったのね。このノートの存在は忘れていたとしても、それが身になっている実感は日々感じているという事か。
40代にもなると、それまで折り重ねてきた知識と経験によって形成された思考回路による自動思考の割合が多くなってくる。もっと言えば「手に負えない」領域が増える。それをアウトプットの中で如何に制御するかが腕の見せ所なのだが、このようにヒカルは小さい頃からインプットひとつひとつに対して数行ずつではあるもののしっかりアウトプットを返し続けていたという事実を知れて大変参考になった。
アウトプットは記憶に影響を及ぼす。思い出は思い出す度に書き換えられる。しかしこうやって書き記す事で局限はされてしまうが固定化をする事が出来る。
言った言わないの水掛け論に終始する親の喧嘩を嘆き記録に残すことの大切さを痛感したと『Be My Last』blogで語っていたけれど、この「記録魔」ぶりをみれば然もありなんだわ。小さい頃からインプットとアウトプットの相互作用を実感しながら成長してきたのだろうな。
しかし。ヒカルの手書き文字という垂涎モノの資料を折角提供してくれたというのに筆記体って読めないもんだね…! 解読を断念してるとこだわ…幾つか本のタイトルは読めたので検索してみたがうむうむ、確かにこども向けの書籍が主体のようだ。年間235冊ペースというのは凄まじいが、それとは別にちゃんと「こども時代ならではの読書の楽しさ」も通過してきたんだなと知れて、そこもとてもよかったです。