無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

三角プリズムの時間遡行

「わがままなことを言うな。利他的であれ。」と他人に説諭しそれを規範としようとする人間は、周りにそういう人が増えれば自らの利益になるからそう唱えるのであって誰よりも利己的でわがままな人なのだ、という話までした。

つまりそんな規範には何の意味もないのだ。というかただの欺瞞である。本来の道徳で考えれば、自らが誰を利そうが構わないものだろう。自分以外の誰かを利することを望むのならそうすればいいし、勿論自分自身を利する為に動いてもいい。そのそれぞれを歌ったのが

『あなたの幸せ願うほど わがままが増えてくよ』

『自分の幸せ願うこと わがままではないでしょ』

の二節なのだ。あなたの幸せを願うのも私のわがままだし、自分の幸せを願うのも何ら謗られることではない、と。なので、「わがまま」の意味が各々でちょっと違うわね。利己的は行為、というのと、規範に悖るという意味と。

で、その中でさっきから「利する」という言葉で表しているが、ここの所に「幸福」という今回主題になっている言葉を当て嵌めた場合にエラーが出まくるというのが『基本的に間違ったコンセプト』と歌う主旨なのだ。

『Automatic』の『言葉を失った瞬間がいちばん幸せ』の一節を解説したときに【「幸せ」のいちばん強いものは、「極々個人的な感情の体験」にあったのだ】と記した。幸福感を突き詰めると個人的な感情の体験に行き着くし、それはどんどん言葉で表せない~他者と共有できないものになっていく。だから『あなたの幸せ願う“ほど”わがままに』というのはつまり「願えば願うほど」であり、自分以外の人の幸せを突き詰めていけばいくほど、その感情的な体験は極々個人的なものに収束していくので、下手をするとどこまでもこちらの独り善がりになっていくことをもまた表している。それは自分自身に対してもそうであって、利己的に我が身の幸福を追求しているつもりが、それはいつのまにか見失われていくのだ。幸せとは、そう感じて言葉を失って初めて“それがそうだった”と気づけるものであって、それより以前から追い求めてそうそう確実に得られるものではないのだと。やや極論になるのだが。味わうまでそれがそうだとは知れないものなのだ。

この機微を、『ULTRA BLUE』では『日曜の朝』『Making Love』『誰かの願いが叶うころ』の3曲を費やして描いている。

となると、だ。今のヒカルさんなら若い頃に3曲かけて伝えたことを1曲に纏めてしまえるんじゃないか?とついつい夢想してしまう。とんでもなく成長してるからねあの頃と較べても。陰と陽、静と動。そのダイナミズムがヒカルに『ぜひ大音量で』と呟かせたとするならば、『Gold ~また逢う日まで~』がシンプルなピアノ・バラードに収まっている筈がない。となるとこの曲…もしかしてこのタイトル「主題 ~副題~」じゃなくて、「Gold」部分と「また逢う日まで」部分の二部構成って意味なのかもしれないなという発想も、また出てくる。果たしてどうなのか。その全貌を逸早く知りたくて仕方ありませんわ私も。そんなわがままも言いたくなるよねぇホントに。