無意識日記々

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『言葉を失った瞬間が』

『Gold ~また逢う日まで~』の基本コンセプトに立ち返ってみよう。

『今の私が思う幸福とはなにかの歌ができました。ぜひ大音量で』

https://natalie.mu/music/news/527020

「~とは何か」という問題設定に対して、答え方は大きく分けて2つある。「それが何で出来ているか」と「それが何をするか」だ。「自動車とは何か」と訊かれた場合、「エンジンを積んで車輪がついてるもの」とその構成を答える答え方と、「人やモノを乗せて運ぶもの」とその用途や目的を答える答え方と、両方ある訳だ。大抵は「ガソリンや電気で動く人を乗せて運ぶもの」という風に両方を組み合わせて答えるものだけれども。

ならば、『幸福とは何か』というヒカルの問題設定に対しても、そのような答え方が出来るかもしれない。過去の歌の歌詞からそれを見ていくことにしよう。

『でも言葉を失った瞬間が一番幸せ』【Automatic】

まずはデビュー曲から。雑に書けば

「幸せ」=「言葉を失った瞬間」

という感じになるが、どちらかというと

「幸せ」∋「言葉を失った瞬間」

と書いた方が…まぁどうでもいいか。兎に角これは、「幸せは何から出来ているか」というときに「言葉を失った瞬間から出来ている」とひとつのケースを答えるものとなっている。

「言葉を失った瞬間」とは何か。言葉とは誰かが話した言葉だ。例えば私の発する言葉はほぼ総て国語辞典に載っている。つまり、それを編纂した人が世の中にいるということで、世の誰かと必ずその言葉について意味内容の示し合わせがついている。もっと言えば、必ず誰かとシェアしたことのある内容だったり意味だったり感情だったりをひとつの言葉として表している訳である。「怒り」ってこういう感情ですよね、「悲しみ」ってこういう気持ちですよね、じゃあ「幸せ」ってのもこうですよね、という風に。そのシェアを言語という。

ならば、「言葉を失った瞬間」とは、それまでに自分が他人とシェアしたことのない感情に襲われた瞬間を言うことになる。少なくとも今までの自分の人生の中に於いては自分固有の感情。今まで感じた「幸せ」の延長線上にあるけれど、そのどれとも異なる感情体験。それを指して

『でも言葉を失った瞬間が一番幸せ』

と歌っているのだ。

つまり、ここから読み取れるのは、少なくともデビュー当時の、14~15歳の頃のヒカルの感じる「幸せ」のいちばん強いものは、「極々個人的な感情の体験」にあったのだと。誰かに幸せだねと言われるだけではない、自分自身でさえもその瞬間を表す言葉が見つからなかった、そんな未曾有の感覚を指していたと考えれる。勿論それを齎してくれたのはその時の恋愛の相手ではあったろうが、それは原因でしかなく、結果として生じた感情体験が『幸せ』だったのだと、そう解釈出来そうである。

この点が、2023年の、25年経って綴られた『Gold ~また逢う日まで~』の歌詞とどう違うか、或いは変わらずにあるのか、そこらへんをみるのも、楽しみの1つになるかなと思われます。…と、こんな調子で過去曲の「幸福」についてみていこうかなと思っておりますデスよ。