無意識日記々

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『Gold~』の曲作りのアプローチを推理してみる

ヒカルはバラードを書くときでもリズム・パターンから入る事が多い。完成品はストリングスとピアノ(とサックスソロ)で壮大に彩られている『First Love』であっても、デモ・バージョンを聴くと8ビートのリズムループが基礎にあっただろう事が分かる。デモから完成品に至るまでの間にリズムを“抜いて”、メロディ重視のバラード・トラックに仕上げていくのだ。

これを「意図的でなく」行ったのが『FINAL DISTANCE』や『Flavor Of Life (Ballad Version)』で…という話は散々してきたので省略するとして。

一方で非常に珍しいのが『誰かの願いが叶うころ』。こちらもまたヒカルが弾き語るピアノ・バラードだが稀有なことに歌詞から作られた1曲で、リズム・パターンから情感を拾ってコード進行とメロディを当て嵌めていく普段のヒカルの作曲とはまるで異なるアプローチが取られている。確かに完成品を聴いてみても、リズムパターンは一定の間隔を刻むというよりは、メロディの呼吸に合わせてストップ&ゴーorアクセル&ブレーキを繰り返すようなそんな編曲になっている。歌詞が先かどうかまではともかく、これは歌が先にあってそこに伴奏を付け加えたのだなと推察することが可能なトラックとなっている。

…という風に、ひとくちにバラードといってもヒカルの場合は作り方に幅がある訳だが、では今回の『Gold ~また逢う日まで~』ではどのようなアプローチが採られたのか推察することは出来るだろうか?

多くの人が映画「キングダム 運命の炎」の予告編で聴けるトラックからこの曲はひとまずピアノバラードだなという感想を持つかなと思われる。それなら、とまずピアノのパターンを聴いてみると、一定のリズムを維持しながらもアルペジオ(分散和音)を主軸とした、ある種「淡々と進行する」雰囲気が強い。つまり、どちらかといえば『Stay Gold』や『君に夢中』のような、スロウな曲ではあるけれど終始休符無くアルペジオが敷き詰められている為バラードと呼ぶには違和感が出てくる、そういう型の楽曲/ピアノ・サウンドに聞こえる。

一方、ヒカルのなぞる歌─メロディと歌詞─に耳を傾けると、繰り返しの少ない、言葉の流れを重視した音の運びで構成されているらしき様が見てとれる。この歌の独特で予測のつかないラインの印象が強い為、多くの人はこの曲はピアノ・バラードだなという感想を持つに至るのだ。

従って、今回の新曲『Gold ~また逢う日まで~』は、『君に夢中』のようなリズム・ループ的なピアノのアルペジオと、『誰かの願いが叶うころ』のような歌詞を重視した音の連なりという、いつもなら相容れない全く異なる2つの手法から導かれたトラックを組み合わせて構成されているように、現時点では思われる。つまり、今回もまた従来のどの曲にも当て嵌まらない新機軸を打ち出している可能性が強い。

勿論、今公開されている部分だけで判断を下すのは難しい。例えば『嫉妬されるべき人生』のような、各パートごとにアプローチが入り乱れていると思しき楽曲もまたあるのだ。同曲はリズムから構成されていそうなパートもあれば、歌詞を先に書いて伴奏を後付けしたように聞こえるパートもある極めて異様な手触りのする楽曲で、今回の『Gold ~また逢う日まで~』がそのような複雑な手法で構築されているとすればお手上げである。今聞こえている部分だけでなく、トラックをフルで聴けた後もまだ全貌が掴めなかったりするかもしれない。まだまだ全くわからないのよ。

なので今は、取り敢えず現時点ではこんな風に聞こえてますよというメモとして今夜の日記はこのように記しておくことにしますですよっと。皆さんはどんな印象をお持ちでしょうか?