無意識日記々

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「人一人が歌う歌」

そっかー、徳島公演キャンセルから23年なぁ。初の全国ツアーのたった一日体調不良で当日キャンセルしたってだけなんだけど、当時は注目度が異様でワイドショーのトップニュース?になる位だったのよね。不憫というか気の毒というか…でもその反動でだったのか6年後の『UTADA UNITED 2006』ではとんでもない気迫で全公演を完遂しました。喉は手術寸前までいったそうな。凄まじい。

そんな経緯を経て今現在の安定感に結実する訳だ。それも印象の話でしかないんだけど、そうやって安心を与える術を身につけた、ってことは少なくとも言える訳で、思えば遠くまで来たもんだなと。それを感じさせてくれた昨夜のパフォーマンスでした。

最初『Gold ~また逢う日まで~』をフルで聴いたとき「ライブでどないする気やねん」と私も思ったのだけどたった2日で「ライブ映えしそうな曲ですねぇ!」に感想が裏返っちゃっいました。それくらい、その昨夜のパフォーマンスがよかった訳です。

ただ、繰り返しになるけれど、初めて聴いた人を混乱に陥れる『Gold~』の奇抜な曲展開も、冷静にひとつひとつ繙いていけばオーソドックスな要素の組み合わせで出来ていて、ちゃんと普通に「ひとつの歌」として完成されているのだ。その統一感のお陰で、ヒカルが生パフォーマンス(継ぎ接ぎでないという意味でね)した際に「人一人が歌う歌」として一本筋が通ったものになっていた点は、強調しておきたい。

恐らく、『Gold~』は全編ピアノ1本で演奏しても映える。イメージとしては『Hymne à l'amour 〜愛のアンセム〜』だ。スタジオバージョンではチック・コリアの“スペイン”をバックトラックにするというトリッキーな発想で度肝を抜いてくれたが、いざ『WILD LIFE 2010』で生歌唱を聴かせてくれる段になったらピアノ一本で朗々と歌い上げ横浜アリーナから割れんばかりの拍手と大喝采をかっ攫った。この歌の場合は単に元のシャンソンに戻っただけとも言えるが、元々のメロディのよさとヒカルの歌詞の良さが絶品の歌唱力によって見事に昇華されていた。

同じように『Gold ~また逢う日まで~』もまた、かなりの未来にはなるだろうが、いつの日かアコースティック・バージョンが披露されればそれも拍手喝采で受け容れられる事だろう。勿論、そこに到るまでにまずは普通のコンサートでスタジオバージョンに準じたアレンジで聴かせて欲しいけどね。

こういう、「出汁の部分の味がしっかりした」曲作りが持ち味なのが宇多田ヒカルなのでエヴァのような作品と相性がよかったのだが、今回の相手は「外連味で押し切る」のを持ち味とした実写版キングダム。この文脈でいえば「素材の良し悪しを超越してドバッと大量の調味料で味付けする」タイプの作品だ。このそもそもの「作品の料理の仕方の違い」をヒカルがどう解釈して乗り越えていったかの話を続けていきたいのだけど…かなり長くなりそうなのでこの暑さが収まってからでいいかしら?(…いつになるんだよ!)