無意識日記々

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だとしてもカバーは聴きたいですよ

藤圭子さんが亡くなられてから10年、か。喪服を着た状態でその報を受け取った身としては色々と懐かしい(単なる偶然だけど実話です)。そりゃもうヒカルの身を案じたわね。

亡くなられた日から10年だからといって十周忌とは言わないのが日本語と日本の難しいとこだけど、指の数からして区切りには違いなく、それなりの感慨はある。主にヒカルが今も無事に表だって活動してくれてる事に、にはなるのだけれど。

この時期にテレビ出演してしっかりお母さんの偉大さを(結果的に)アピール出来たという意味でも日曜日の「まつもtoなかい」は有意義だった。「音楽のことはわからへん」と謙虚に言う松本人志に「かっこいい」と言い切らせるとはどれだけ歌に説得力があるのやら。ヒカルについてもデビュー当時を振り返って「次元の違うのが出てきた」とまっちゃんは言ってたけれど、お母さんの歌についてはそこから更に踏み込んできてたというか。それをヒカルは悔しがりもせずただただ母が褒められて嬉しいという態度。「私が歌ってもあんなにかっこよくならない」という言葉がまた卑屈忖度一切無しの素直な心根から出ていた風で、昔を知らない若い子がこの遣り取りを見てどう感じたのか訊いてみたいとこだったわ。藤圭子、サブスクの曲数が少ないのが悔やまれるなぁ。面影平野ないもんね。まーYouTubeに落ちてるけどさ。何はさておき「マイ・ウェイ」も聴いて欲しいぜ。

10年経ってもヒカル本人から悲嘆や後悔の念は消えていないだろうけど、これまた本人が言ってる通り乗り越えるものでもなく人生の消えない景色のひとつとしてずっと目に入ってくるものなのだろうし、そこから歌が生まれてくることも『道』で宣言していたし、今後も10年といわず、毎年この日を同じように振り返る事になるんじゃないかと私は思ってるのだけど、そうね、どこかの時点で、まっちゃんが提案してた「宇多田ヒカルによる藤圭子のカバーアルバム」が生まれたとしたら、ちょっとまた見える景色は変わるかもしれないね。

しかし、「個人的に録音してくれ」とか「ほな今からカラオケ行こ!」とか、言ってみたいもんだわね。井上陽水でも言えないだろうに。てか、そうね、次に前川清と共演したときに頼まれたらどう反応する? いや何より、年老いた照實さんに頼まれたら山が動く気がするな。気長に待ちますか。当然私も聴きたいからね。