無意識日記々

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リズム解釈千差万別十人十色

宇多田ナイトの帰り。内容のレポは他の方々に任せるとして、私は無意識日記らしい話でも。人としての挨拶とかもTwitterに回して、と。

実はアイソトープラウンジが会場の宇多田ナイトに参加するのは今回が私初めてでしてね。19回分の年月私何やってたんだろ、と思うがそれはそれとしていざ会場に入ってみると音質がかなり良い。聴き慣れたヒカルの曲にリズムループを足したセミリミックスとでも言いたくなるトラックを鳴らしていたのだが、各楽器の輪郭が明確で歌唱の表現力もよく伝わってくる。隣のYUKIナイトの音響が割れ割れで、それはそれでパンキッシュなJUDY & MARYに合っていたのだけどそれはともかく、宇多田ナイト会場のサウンドには確かに「こりゃいい音だ」と思わせられたのだった。

ただ、小屋のサイズの割に音量が大きく、更に低音部が強い。音の輪郭が明確なだけにベースを聴かせてもまだまだ大丈夫という余裕を感じさせもしたが、宇多田ヒカルのトラックはベースサウンドのバランスが時に非常に大事な事がある。

例えば、かなりクリティカルな例が『Forevermore』だ。この曲はうね跳ねるベースラインとタムロールちっくなスネアと軽めのバスドラとシンバルワークの組み合わせで独特のクルーヴを形作っている。ロックとジャズから等距離にあるような不思議な技法なのだが、これが成立するには各楽器の微妙な音量の強弱が結構重要なのだ。バスドラを押し出しすぎても野暮ったくなるし、ベース先行でスネアの音が聞こえづらいと重苦しくなる。あの洒落てるけど力強いダンサブルさの為には各楽器をバランス良く配置せねばならない。  

で、実際に会場で聴いた『Forevermore』は、ベースがバスドラとスネアを覆い隠していて、あの独特のグルーヴの妙味が少し薄れていたように思われた。音質自体はいいのにバランスのせいで楽曲の魅力がいまいち伝わらない事態は、それはそれで面白い経験だったのでよしとするけどね。

それに、「リズムの解釈」というのがそもそも人それぞれ千差万別なのだなぁと会場に居るときはずっと思っていたしな。ステージの上の人が作曲者との「解釈一致」がいちばん多かったように思ったけど、そちらはお仕事でこちらは趣味。自分の楽しめる解釈で押し切ればいいだけのこと。正しいも間違いもないのだった。

なので、サウンドバランスが曲のグルーヴを変質させる程に違っていたとしても、それが原因で皆の踊り方が変わるかというとそんなでもなく、寧ろどちらかといえば「自分脳内で構築したグルーヴの」にノってる人が多かったかな。そんな人たちは、先述のリズムトラックを入れ替えたリミックスでもオリジナルのリズムの解釈に基づいて踊っていた。それもまた楽しみ方のひとつというか、ライブ会場での「長年の思い入れがある曲」は歌唱力や容姿力を大きく上回る最も強烈なファクターのひとつなので最も侮れないのだし、それはその人だけの物語なのだから邪魔をするのも野暮というもの。なのでどんな場所だろうがリズムとグルーヴの解釈は千差万別なのが真理であって、だからこそ難しく面白いので、こうやって普段体験できない規模で「実証実験」が行えるのは何とも僥倖。また良い音とバカでかいサウンドでヒカルのトラックをじっくり聴いてみたいわね。