急に違う話をしたくなったのでする。
以前も紹介したTCY Radioでのこの問答。
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■宇多田さんが嫉妬する人は?
いない。
TJO:ありがとうございます。嫉妬する人は、いないんですね。
宇多田:いないというか、「嫉妬する」感覚がわからないんです。だって、他の人がどんなつらい思いをしているかなんて、自分にはわからないから。誰かになりたいなんて思えない。みんな、つらい部分は見せないじゃないですか。あと、人と比べてもしょうがないし。何に嫉妬するのか、意味自体がよくわからないです。
☆Taku Takahashi(以下、☆Taku):恋愛の嫉妬はまた別ですか?
宇多田:“やきもち”ですか?そうですね…昔はあったのかな?今は全く感じないですけど。好きな人には自由にしていてほしいです。無理も我慢もしてほしくない。
https://block.fm/news/utada_taku_talk
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「嫉妬」に関するこの回答、「へぇ、そうなんだ」と納得した人も在れば、「ほんまかいな?」と疑った人も在ったかと思うが、ここで『Devil Inside』の歌詞を見てみよう。今回は訳詞の方で。
『誰もが私を天使にしたがる
誰もが何かをやさしく可愛がりたい
私が燃えることを人は知らない
(略)
私の中の悪魔
私の心の奥底に潜む嫉妬深い天使』
こんな歌詞。2004年当時日本ではすっかり「宇多田ヒカルはとてもいい子」という認識が定着していた。そんな背景がありながら、英語で『誰もが私を天使にしたがる』と歌ったのがUTADAのこの衝撃のデビュー曲だった。その一連の歌詞の流れを最後に締め括るのが『嫉妬深い天使』だというのがこの歌詞の要である。天使も嫉妬するのだ。
この歌の歌詞を知っていると、『「嫉妬する」感覚がわからないんです』という発言が如何にもカマトトぶってるというかしらばっくれてるかというか、あんたそれは外面の為に、自分のイメージの為に嘘を吐いてるよね!?とツッコみたくなってくるのよね。
勿論、ただの歌詞でしかない。ヒカルは歌手として、歌の中の世界の登場人物の心境を綴っているだけであって、現実に生きる宇多田光氏の心境とは関係ない、そう、フィクションなんですよフィクション、と断りを入れてしまえばそれで済む。一旦は。しかしそこはシンガーソングライターの因果な運命。どれだけ虚構だと虚勢を張っても自分の顔を出して自分の歌声で自分の書いた歌詞を歌い上げるのだから、そこに遭遇した人は「自分のことだよね?」と解釈するのを避けられない。それを知らない宇多田ヒカルではない。それどころかそこの所の細かな機微を最も弁えた一人であるとも言える。
ここをどう解釈するかは、リスナーの自由である。ヒカルちゃんは嫉妬なんかしないんだね、サバサバスッキリした性格なんだね、と納得するもよし、パブリック・イメージに合わせて堂々と嘘を吐いてるけど、実際にはものっそい嫉妬深いんやろうなぁ、と妄想を膨らませるもよし。そういった虚実のあわいを幽かに揺らめくのも、歌の楽しみ方、醍醐味のひとつだろう。下手に決めつけずに探りを入れながら見極めていくのが、歌のエロスってもんですよ。なので嘘を吐くヒカルも嫉妬するヒカルも大変エロくて結構なのです。えぇ、ごちそうさまでした。