無意識日記々

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トレボヘSPでも変わらず感じさせた「今のヒカル」


え〜、、、何話せばいい?(ダウンタウンに英語話してみてって振られた時の返しみたいに)


供給過多が過ぎて飽食だわ。抜けた後の虚無感は考えないようにしようそうしよう。昨夜のオンラインパーティーも私飛ばしちゃったり。普段じゃ考えられないわね。



ええっと、まぁいいや、少しずつ触れるか。まずトレボヘスペシャル完全版が解禁になったわね。もう既に少し触れちゃってるけど以後はさらに大っぴらに話せるか。


一聴した感想は


「どこらへんがスペシャル!?」


というものでした。それくらい気負いなく、普段通り。その普段が23〜24年前の1年間の事を指すのが何か不思議でね。あの頃を知ってる人にとっても知らない人にとっても普段通り、普段着の宇多田ヒカルが学校帰りにスタジオに寄って…嗚呼、学校帰りだと普段着じゃなくて制服か(笑)。いずれにせよ、全然スペシャル感がなかったのよね。コーナーの作り方も、選曲も。昔のまんま…そしてそれがそのまま「今の宇多田ヒカル」の表現になっているという不思議な状況。


改変期のスペシャル番組って内容も特別だったりするじゃないですか。振り返り企画だったりまとめ企画だったり。全然そういうのないんでやんの。2時間という長さを除けば、このまんま今でも毎週放送してるような、そんな錯覚に陥る内容で。


これつまり、アルバム『SCIENCE FICTION』のコンセプトそのものなのよね。ベストアルバムを出すのは特別な過去の振り返り企画かっていうと、確かにそれはそうなんだけど、「ヒカルの心づもり」としては、新曲新譜を作る時と、つまり普段と何も変わらなくて、ただ素材が既にリリースしたことのある曲だったってだけでな。なので、リレコーディングしたものもリミックスしたものも、「今の宇多田ヒカル」が作ったものでしかなく、そりゃ新曲と相性がいいよね。


他のベストアルバムは違うと思うんだ。昔の曲が主役で、そこに加わる新曲は添え物?ゲスト?おまけ? 或いは昔を思い起こさせる曲調だったり、逆に今と昔の違いを際立たせる曲調だったり、いろいろあると思うんだけど、主役はいうまでもなく何十曲もある昔の曲で。だけど『SCIENCE FICTION』は違う。主役は自然にGold以降の3曲になっていて、やはりこちらも自然に旧曲たちはそのサウンドに合わせていく格好になっている。合わせていくというのも正確じゃないか、今のヒカルが作るのが新曲で、その今のヒカルが手掛けるリレコーディングとリミックスとリマスタリングは新曲たちと似たテイストになっていくという、ただそれだけのこと。なので『SCIENCE FICTION』は最早宇多田ヒカルの新譜でしかないわよね。


『Tresbien Bohemian 」も同じというか…そもそも、昔に準えてやるコーナーの名前が『This Week’s Top 2』だからね、そりゃ本当に今週のトップツーを発表するだけだよね。それも昔から「今週世間で発表された曲」でなくて「今週ヒカルがかけたいと思った曲」でしかないから、いつの時代にやろうとそりゃ同じになる。お便りを読むのも、自分の新曲を紹介するのも、最近のお気に入り曲をかけるのも、昔のまんま。昔の毎週やってた頃のまんまなのよね。特に昔を振り返る事もなく。


あぁ、昔の口調を再現したりしてたな? それも実は「最近のヒカルがしてること」なのよね。最近のヒカルのしてること…昔の曲のリレコーディングとリミックスとリマスタリングなわけでして。常に昔の自分の声を聞いてる(聞いてた)わけでして。その流れの中で「今もあんな声出るかな?」とか試したりもしてたんじゃないかな。そういう制作状況と今回のトレボヘ収録は軌を一にしてたってことだね。


自然体に拍車が掛かった。つまり、ヒカルの変わらなさが更に揺るぎなくなったというか、いや言い方としては逆か、更によく揺らいでしなるようになったというか。純粋な新曲を作る作業のみならず、過去曲、過去の素材を相手にしても、普段と変わらず今のヒカルを表現する手段として構成できるスキルを今回手に入れたという、そんなターンが今な気がします。なので、このスキルに基づいた今後のライブコンサートは、今まで以上に「たった今の宇多田ヒカル」の魅力を、新曲でも旧曲でも変わらず発揮できる、過去最高のものになる事請け合いなのでした。