無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

こんなに青い色の空

キャンディーズといえば「普通の女の子に戻りたい」と云って表舞台から姿を消したが、もしかしたら後世からみたらヒカルの人間活動宣言も似た印象になるかもしれない。田中好子の場合グループは辞めても結局芸能界で生き続けていった訳で、途中で"普通の女の子"に憧れ(?)て実際にそういう日々を送ってみても「やっぱり私にはこの世界が性に合っている」と戻ってくるものなのだろうか。彼女の実際の事情はしらないが、そういった実例があったのかもしれない、と思えるだけでも励みになるな。

光は「普通なことが特別で、特別なことが普通」とかなんとか言っていた。正確な言い回しはわからないが、これは普通なことしか言ってないよね―って切り返すとますますややこしくなるか。

色即是空空即是色も、似た印象を与えるフレーズだが、かつて触れたようにこちらはもっと含蓄が深い。色を認めた途端それは空となり、空を認めた途端それには色がつく。つまり、認識とは万物の流転の"否定を知る"ということなのだ。あら難しい話になるな。まぁそれはいいか。

話を戻すと。光は、これからその"特別な日々"を送る。恐らく、自分の"性に合っている"界隈は音楽にちがいないのだから、その点については迷いがない、つまり、戻ってくるならきっと此処だろうという目処はたっているのだと思う。いや、目処がたった、確信が満ちたからこそ一度離れてみたいと思ったのかもしれない。まさに色即是空空即是色、それを確信的に捉えた瞬間、それは掌の間から零れ落ちてゆく。その刹那のいとおしさ。光は生きているのである。生きているから、この絶え間ない変化に満ちた世界で、音楽という確信を得たとき、そこから離れてみてみなくてはならなかったのだ。

その確信をカタチにしたのが、SC2とWild Lifeだ。今回、どの音楽的側面をみても"実験的"というニュアンスが伝わってこない。勿論、新奇なアイディアも実行してみているだろうしオリジナリティは十分過ぎるほどあるのだが、そこに迷いがないのである。

特に、あらゆる意味でチャレンジだった「嵐の女神」にその実験性の希薄な点が興味深い。感情に、ことばに迷いはなかったのだ。ただ、それを口にする勇気が欲しかった。内なる感情に対する確信は、かつてなくここに強く在る。しかし、それをことばにしてしまったら、カタチにして"見て"しまったら、と思うと足が竦む。色即是空空即是色、物事に色と形が与えられた時点で、内にあった感情は空となり消えていく、のかそれとも歌に込められた魂は色即是空空即是色、色と空のなす環、即ち"この世界"に受け容れられ、溶け込んでいくのか。唄う前は本当に怖かったのだと思う。

想いに迷いはない。間違いはない。ただ必要だったのはそのことばを口にする勇気。確かにそれは成し遂げられたが、まだ足はガクガク震えている。ナマでこの環を披露するところまでは、まだ行かなかった。終演後の"あの響き"は、残念ながらあの日あの場所に居た人間でないとわかりづらいかもしれない。光の居ない舞台に響く光の歌声。光の色が空になり、空がまた色に染まる、まるで夜と朝、昼と夜の境目のような、Twilightな黄昏の色合い。なんとも贅沢な時間だった。みんなとお喋りしながら。

即ち、光にはまだ唄うべき歌がある。嵐の女神。これを皆の前で披露するその日まで、宇多田ヒカルにとって最も特別な"普通の女の子の生活"を、心行くまで堪能して貰いたい。♪ 嵐の女神