無意識日記々

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テイク5は3曲目

「ナマで聴きたいとは思っていたけれど、本当に唄ってくれるとは」と誰もが驚いたテイク5。冬のコンサート自体今まで少なかったのだからこのタイミングで唄わねばという狙いもあったろうことは想像に難くない。

この曲の特殊性は、光自身が率先して発言しているように、歌詞の乗せ方にある。音韻踏襲やリズム&アクセント優先ではなく、まず詩ありきの様態。まずことばそのものからイマジネーションを広げて欲しいという願いのこもった歌である。

したがって、この曲が3曲目という早い段階で登場したのは意表をつかれた。もっと皆がコンサート空間に入り込んで光の口から発する歌詞に耳を傾ける余裕或いは集中力が整ってから、という風に予めには考えていたからだ。

確かに、セットリストは名曲ばかりシングル曲満載なのだからこの歌を後半に持ってくるのはリスキーなのはよくわかる。また、今回はリズム隊の登場場面等の全体の流れがある為この曲のリズム構成からすると前半の打ち込み主体パートに嵌め込むのがよいという判断だったろう。

そして何より、この曲のエンディングはアルバムバージョンではぼくはくまへのカットアウトであるから、今回のような手法で、即ちクロスフェイドでいきなりサビから始まる曲PrisonerOfLoveに繋ぐと決まっていたのなら、他に選択肢はなかったのだと察する。SAKURAドロップスやFlavorOfLifeもサビスタートの曲だが、テイク5の後にはやはりPoLだったのだろう。

ただ、この曲順と構成にはやや難を感じたこともちゃんと書き記しておこう。テイク5の幻想的な詩世界からリズミックで情熱的なPoLへと繋ぐのは唐突だった。勿論その落差を演出として考えていたのだろうが、それならやはり(以前指摘した通り)アタマ4曲を立て続けにクロスフェイドで繋げた方がドラマティックだったのではなかろうか。確かに、それをしてしまうとウタユナの4曲連発オープニングと被ってしまうという危惧はあるのだが。

ただ、毎度そういう細かい曲順や構成のあれやこれやをウジウジこちらが考えても大して意味はない。そう言い切ってしまえるほどにどの曲も素晴らしい。曲の世界が強いものばかりだから始まってしまえばすぐさま引き込まれる。MCの出来が時にグダグダになろうがさほど気にならない(少なくとも私はね)のは、どの曲もハイライトで中だるみや中休みがないからだ。その大前提はきっちり踏まえておかねばなるまい。