無意識日記々

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She Stands Ablaze.

リスクのカラオケ、当時は「凝ったサウンドだな〜」と感心しながら聴いていた気がするのだが、今久々に聴いてみると密度が薄くて吃驚する。それでもポイントはしっかり押さえてるんだから面白いな〜…ってつまり、いつものように、私は単に「光の書いた音」に反応しているだけなのだ。まだ編曲者として頭角を現す前の段階の楽曲だとどうしても光の置いた音は少ない。

それと同時に、この"心細さ"みたいなのが、最近はサウンドに現れなくなったな〜というのも感じる。疾駆するリズムにゆったりとした裏メロのオープニングナンバーといえば後のThis Is Loveと同じ方向性の楽曲といえるが、This Is Loveが世の喧噪を大きな愛で包み込むような壮大なスケール感を演出しているのに対し、リスクの方は世の喧噪の中に紛れ込んで迷子になった時のような心細さを感じる。曲ごとのコンセプトの違いと言ってしまえばそれまでだが、2000年当時の、何が何だかわからないうちに業界の濁流に飲み込まれてこれでいいのか悪いのかを判断する暇(いとま)も与えられずとにかく曲を作って歌ってみていた、その当時の雰囲気が見事にそのまんま曲と詞で表現されている。

宇多田光という存在が、手掛ける音の数が増えるに従いどんどん大きくなっていった感覚は、This Is The Oneで一旦集束する。光の音ばかり欲しがる私だからの感想なのかもしれないが、HEART STATIONの旋風のようなダイナミズムが影を潜め、コンパクトな歌に焦点を当てていたのは確かだ。

だからといって光はその流れのままただもっとシンプルな歌に、とは行かなかった所がやっぱり凄い。Can't Wait 'Til Christmasに関してはそのThis Is The Oneのシンプル路線の究極形という感じがするが、Goodbye Happinessは"スケール感"という俗世的な数量感覚というより、突き抜けて異次元に達してしまったような不思議な感覚にとらわれる。神話の世界とでもいおうか…尤も、このあと2人は何度生まれ変わってもKissをして原罪を背負い込み俗世に身を落とし幸せにお別れを告げるのだが…。

そうした分裂した神話性と俗世感のはざまに、リスクの頃の"心細さ"を大幅に復活させた、いや、あの頃よりもっとラディカルに心細さを綴っているのが嵐の女神だ。その頃と異なるのは、そんな子供の自分を優しく抱き止めてあげられる自分が居ることだ。その母性のぬくもりに包まれて、子供の自分は正直に想いを伝える。歌詞の構成は、家に帰ってベッドで眠る物語、即ちぼくはくまと相似形な訳だが、"ぼく"で"くま"な歌の主人公に言わせていた"ママ"のひとことを、はっきり堂々と自分のことばとして"お母さんに会いたい"と口にする場面は、まさにひとつの到達点であるといえる。DISC1同様DISC2も過去に遡る曲順であるとすれば、この嵐の女神こそが宇多田光のThe La(te)st Songであるといえるだろう。