無意識日記々

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命の歌

テイク5の歌詞は、わかったようなわからないような不思議な歌詞だ。海路の方は最後の最後に『次は君次第』とテーマをこちらに向けてくれるが、この歌は徹頭徹尾ひとりきりだ。一人で安心するParodyにせよ一人がイヤになるKeep Tryin'にせよ、兎に角この歌に他者は出てこない。『真冬の星座たちが私の恋人』。星空にしか目がいってない。ド直球である。

勿論、『会わない方が ケンカすることも 幻滅しあうこともない』という一節があるから、理屈としては他者の存在を認めることが可能だ。しかし、それが誰なのか、歌からは全く伝わってこない。ここまで根本的な否定も光の歌では珍しい。『今日の気分は最高です』、こう言い切れるからには、これは本当に他者を否定しているのだ。君もあなたも出てこない、ひとりじゃ孤独を感じられない、まさに孤独の反対の歌である。

例えば、光ははやとちりでこう歌う―『責めないで 間違った速度で走ってたんじゃない ただ今回はさ ちょっと歩幅が合わなかっただけ』。Wait & Seeではこうも歌う―『廻らないタイヤが目の前に並んでるけど Accel踏まずにいるのは誰だろうね 矛盾屋』と。何れも、スピードを調節する事で他者とのDistanceをはかろうとしている(両曲ともDistanceの収録曲だ(アルバムバージョンで、だが))のだが、テイク5では『ナイフのような風が私のスピード上げていくの』と、他者との距離など全く眼中になくまさに"暴走"する感覚が強い。『真冬の星座たちが私の恋人』というのも、まるで手の届かない星空に対してそう言い切ってしまえるのは他者に対するDistanceが"ない"からである。

『ケンカすることもない』とはアルバムでは次の曲であるぼくはくまの『ケンカはやだよ』に対する前もっての返答ともいえるし、更に次の次の曲である虹色バスの『誰もいない世界へ私を連れて行って』という"願い"が叶えられた境地がこのテイク5であるともいえる。ここまで振り切った歌詞世界は、繰り返し云うけれど、光の歌では本当に珍しい。

徹底した否定。ここでは、絶望もないし、希望もないし、誰とも何とも会わないし、ケンカをすることもないし、幻滅し合うこともないし、成功もないし、失敗もないし、始まりもないし終わりもない。

しかしそれでも最後の最後に言い切るのだ、『生きたい』と。これだけあらゆるものを否定して透き通っていようとする、"無"であろうとする、"ない"であろうとする存在でも、それでも『生きたい』のである。ここまで純粋に生命力を抽出した歌を私は知らない。『今日という日を素直に生きたい』、何もかも失ってもそれでも人は、命は生きる。生きたいと思う。あらゆるものを喪って途方に暮れている人にこそ、この歌は響く。このピュアネスは、誰にも真似できないだろうな。