無意識日記々

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この世代の世代論

さてさて本日7月21日は照實さんのお誕生日。おめでとう。光の父でありマネージャーでありプロデューサーである一人の初老の…とは最近書かない年齢だよね。

どこかでも書いた気がするが、00年代って"上のつっかえていた"時代な気がする。テレビをみると、まだまだかなりの割合で"10年前も冠番組をもっていた"タレントたちが元気だ。一方、新人〜中堅だと思っていた人たちが軒並み40歳を超えている。これを成熟ととるか衰退ととるかは微妙なところだが、伝統芸能はよく"60歳で一人前"なんてことを言われるし(本当の所は知らない)、それだけ(TVの娯楽番組というクラスタは)層が厚くなり、文化として安定しているとみるべきか。

照實さんはちょうどその"つっかえている上の世代"にあたる。一年中Tシャツで過ごす強靱さがある一方でここ最近は足をいためているという話もあり、元気なんだか衰えているんだかよくわからない。彼が光の人間活動を快く認めた背景としても、二つの考え方が出来ると思う。

ひとつは、光が何年後かに戻ってきた時にもまだまだ現役でマネージャー/プロデューサーの仕事をこなす自身がある、というもの。自身の肉体や情熱が衰えるだなんて考えも及ばない、といった所か。

もうひとつは、全く逆に、光の復帰後はマネージャープロデューサーとしての仕事から、片方、或いは両方手を引くつもりであるという考え方。光自身が「マネージャーなしでは何も出来ないおばさんになりたくない」と言っていたが、この人間活動を機に照實さんからプライベートのみならずプロフェッショナルとしても独立する事を視野に入れているのではないか。照實さんが引退してしまう前の段階で様々な準備なり引継なりを完了しておきたい、というのもありえるだろう。彼も力を残しながら、例えばまた新たに新人を発掘してプロデュースする、なんてこともあるかもしれない。

しかし、上記で示したように彼の世代はやたらと元気なのである。なんだったら10年後も同じように活動しているのではないか、とも思えてくる。そうなったらそうなったで喜ばしいことなのだが、確かに光が"ひとりだち"をするタイミングが掴めなくなる虞は残る。この二人を師弟とみるか、タッグとみるか、主従とみるか、あるいはどれでもあるのか、どれでもないのか。この親子の関係の今後の在り方は、(珍しく?)世間の一般的な世代問題に対して何らかの示唆を与えるかもしれない。かなり特殊な親子では、あるんだけどねぇ。