無意識日記々

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株式投資と寄付の話

ざねっちのツイートが盛んで嬉しい。まぁ私が個人的にメンションを飛ばすときっと喧嘩になるので遠慮している。遠くから静かに見守っています。喧嘩回避の為に、あーだこーだはここに書く事にする。

先日、株式なんかの投資の話になった。ツイートの140文字制限下では失言云々をいっても仕方がないと思うが、やはり株を"不労所得"呼ばわりしたのは不評だったようだ。まぁ、やっぱり仕方ない。

世代もあるのだろうが、株式投資を"濡れ手に粟"とする見方はまだまだ健在なのだろう。ゲーム性の強さも、その"いかがわしさ"に拍車を掛ける。最も、20世紀後半の経済学はゲーム理論なしには成り立たないのでゲーム性が強くなるのは当たり前なのだが。

しかし基本に立ち返ってみれば、株式は起業家にとっては資金調達の手段であり、資産家にとってはリスク分散の処方でもある。その過程で株の値段が上がったり配当を得られたりというのはいわば釣り針に仕掛けられた餌のようなもので、肝心なのは経済活動の活性化なのだ。難しい事を全部すっ飛ばして生活感たっぶりに表現すれば、快眠快便快食で、たくさん食べて便秘知らずの健康的な生活を"社会"が営む為の方便なのだ。

このシステムの"社会"においては、お金を動かさない事がいちばん忌まれる。いわば、冷凍食品を大量に買い込んでもちょっとずつしか食べず、便秘気味で食欲もない状態だ。風邪も引きやすくなるしお肌のツヤも悪くなる。そんな感じ。

ざねっちは色々と社会的な発言をしているが、沢山稼いだ人間が沢山使わない事がある種社会的な"罪"である事に対する自覚は薄いようだ。悪気がある訳ではなく、単にそういう事に疎いのだろう。やっぱり世代もあるんだろうなぁ。

そんな彼は、是非この時期にいろんな"音楽的投資"を行なってうただきたい。そもそも、お金がない時でも車を売り払ってスタジオ代にあて、幼き日の光に「将来は絶対手堅い仕事に就いてやる」と決意させる程のド根性をみせつけた人である。幾らマネージメント会社の社長だからといっても、当時よりは稼いでいるだろう。その頃の情熱を取り戻し、明日をも知れぬ程音楽に注(つ)ぎ込んでみてはどうか。

どうせなら娘から借金してみるのもいい。彼によると、光のお金の使い道は寄付なんだそうだから、実の父にお金を託したっていいんでないか。昔お金に苦労したミュージシャンが、今還暦を迎えお金をもったらどんな振る舞いをするか。興味本位で申し訳ないが、エネルギー問題に関心を寄せる位なら自分のいちばん得意な事をした方がきっと社会にとってはメリットが大きい。

で。その光のお金の使い方が寄付中心だというのは、まぁ普通の感覚でいえば見上げたものだし、性格からいえば当たり前の事だし、正直私もこういう時は心底お金持ちが羨ましくなるものだ。いいなぁ、と思う。が、ここは心を鬼にして指摘しておきたい。寄付だけというのは基本無責任であると。

お金というのは見返りを求めるべきなのだ。そうでないと必ずどこかに淀みが生じる。秩序が崩れる。補助金を与えられ続けた業界が次第に脆弱になっていく姿を、世間は幾度となく観てきた筈だ。私はそんなのみた事ないから知らないのだけど、理屈はよくわかる。

つまり、光はちゃんと寄付先から何らかの見返りを得ているのだろうか、という事だ。変な言い方になるが、お金を払うというのはその相手先である団体なり機構なりの理念に賛同しているからであって、それ即ち光の理念の一部だと解釈するのが妥当だろう。だとすれば、その理念の実現に向けてその相手先がどんなはたらきをしているか、ちゃんと確認しているのか。そして、その確認作業の有無を、相手側に伝えているだろうか。お金の払いっぱなしは、これまた"罪"だという自覚はあるのだろうか。


事ほど左様に、この親子のお金への態度は対照的かつ対象的である。かたやお金を使わずに放っておく事の"罪"の意識が薄く、かたやお金を使って放っておく事の"罪"の意識が薄いのだ。まぁ、ミュージシャンはそれ位の方がいいのかもしれないが、もしこんな状態でエネルギー問題に首を突っ込む気なら、彼らの首ねっこひっつかまえて全力で阻止したい。エネルギー問題はその大半が経済問題、即ちみんながちゃんと食べてちゃんとうんこできるようにする話がメインだからだ。

光がまるで"使いっ放し"であると断定した表現をした事については謝っておきたい。ただの推測(というか妄想)だもんね。ごめんなさい。でも、"寄付"の危うさについては、しっかり認識しておきたかったのだ。発展途上国への開発援助の実態とか…。いや、私も知らないんだけどね。

長くなったので無理矢理ここでぶったぎって投稿しとくかっ。