無意識日記々

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コミックマーケットケミストリー

今夏のコミケは3日間で54万人が集まったそうな。昨年と一昨年は56万人で、これでも減ったというのだからいやはや凄い。果たして他にこんなに集客できるイベントが他にあるだろうか。サッカーのワールドカップでも、5万人収容の試合を11試合開催せねばならないのだから3日間でこれ、しかも半年毎の開催だというから恐れ入る。

音楽のフェスティバルと単純に比較できる形態ではないが、動員数は兎に角桁が違う。もはやただの同人誌の即売会ではないのだろうが、それにしても出不精の塊といえるヲタク層をここまで巻き込めるのは何故だろう。

ひとつには、単純に文化のレベルが高いのだろう。それだけ人を惹きつける。単純である。漫画やアニメといったコンテンツは、収益性は兎も角大きな輸出品となっている事は疑いがない。

もうひとつ、参加形態が"手作り"である事が大きそうだ。即ち、ボトムアップである。例えば、音楽のフェスの場合集客力はその大半をヘッドライナーが握っている。極端に戯画化していえば、ヘッドライナーの知名度が客寄せパンダとなって他の売れないアーティストにチャンスを与える場なのである。人気のトップダウン方式なのだ。

ところが、コミケにはそういった目玉みたいなものはあんまりない。それぞれが思い思いに、自分の好きな作品関連を漁る。どちらがいいとかは思わないが、このボトムアップスタイルでの集客の方が数が集まる感じはする。音楽の方は圧倒的なカリスマ性が人を集める。コミケの方は作り手と受け手の距離がとても近い。

その差異のいいとこ取りをしたシステムがAKB48で、テレビで名を売る事でグループとしてのカリスマ性を上げ、一方で徹底した現場主義でファンとの距離を縮める。うまくやったものである。

斯様に、人を一ヶ所に集める方法も、音楽の場合まだフェスティバル形式が定着して10年といった所なので日進月歩の様相が強い。そのシステムの変化とファン層の移り変わりの相関もありそうだ。

ヒカルの場合、CDや配信、抽選応募といったモノは数字を叩き出してきたが、"実際に人を集める"能力に関しては、今のところ突出しているという程でもない。もちろん凄いんだけどね。知名度としてはカリスマといっていいけれど、ならばフェスティバルのヘッドライナーに相応しいかというとなんか違う気がするのは、熱心なファンの多くがヒカルに対してカリスマ性に圧倒されるトップダウンな感覚を味わいにいくのではなく、普段から身近にある歌の歌い手、メッセージの送り手として、それこそコミケで同人誌の作者に会いにいくような感覚の方が強いからだろう。もしかしたら、ヒカルの手によって新しい世代の"人の集まり方"が生まれるかもしれないが、今はまだ具体的にそれがどういう形態になるかは想像もつかない。