無意識日記々

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家訓

「いい女を見かけたら声をかけろ」…だっけ? 宇多田家の家訓だそうだが、母と娘もいい男をみつけたら声をかけるのだろうか…という話では勿論なく、シンプルに"チャンスは逃すな"という事なのだろう。

また、それに加え一期一会とか、一歩踏み出す勇気とか、先手必勝の勝負観とか、なかなか含意の豊富な、趣深い家訓である。

ただ、それとヒカルの人生の「ある程度の受け身ぶり」とは相容れるような相容れないような。レコードデビューは日米ともレコード会社からのオファーを受けてのものだし、そもそも歌い始めたのも両親に勧められたからである。

ここに在るのは、いい女に積極的に声をかける方ではなく、声をかけられるのを待っているいい女の方な気がしてくる。実際いい女なんだけど。

家訓はあクマで照實さんの生き方なのか、或いは真逆にヒカルがひとりだけ自分で言っている事なのか(即ち初代家訓当主)、そんな経緯をきく気も起こらないささやかなイシューだが、その差が生き方、人生に大きな影響を与えるのもまた事実。

"売り込む"という事をしない。しかし、あらゆる行動には自ら責任をもつ。プロデューサーまで引き受けるからにはそういう心持ちである事には疑いがない。人から持ちかけられても、いやいややってる感じは全くない。

これは多分、"夢のない生き方"なんだと思う。どこかに居るかどうかもわからない心の中の理想像を追い求めるより、今目の前で現実に通り過ぎる生身の人間にかかずらえ、というこの家訓。売り込むという行為は夢なのである。いちばん夢のない行為だという先入観とは裏腹な気がするが、現実との乖離を感じている時点で人は夢をみているのだ。

Not A Dreamという叫び、Show Me Loveは『夢ばかり見ていたと気づいた時』に『自力で一歩踏み出す』力強い歌だけれどつまりこれは実際の自分をみろ、そしてみせろという事だ。素直にみせていれば、掛け合って売り込む事もない。実際、レコード会社がヒカルに声をかけてきたという事はどこかでヒカルの歌声を耳にしたからであって、いくらオファー待ちが基本であってもどこかで自身を表現していないと話にならない。ただ、その表現に押し付けがましさがない事、それ自体がヒカルの魅力の構成要素のひとつである事もまた真実だろう。だからひとりで居る時に聴いていても鬱陶しくない。いやまぁその日の気分には、よるかもしれないが。

様々な層が、音楽にはある。自らを売り込む売り込まないという態度の有無すら音楽性に反映されるとすれば、これはかなり神経を尖らせ、磨き上げ過ぎてすり減らす結果となるだろう。自身の深い部分までいつのまにか投影されてしまう創作活動がマスメディアに取り上げられない今の時期は、創作と神経戦が切り離される貴重な時間帯でもある。光には存分に今、創作を楽しんでほしい。たった今出会ったアイデアを素直に慈しめるように。