無意識日記々

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StayCool ,Playloud & Stay Gold

Stay GoldのWild Lifeバージョンは、阿部ドラムと種子田ベースの参加が、やはり最大の特徴である。

元々スタジオバージョンはベースレスでピアノをメインに作られたこの曲は、サウンドの芯の無さを浮遊感に変えて幻想的なムードを醸し出していた。光が幽霊云々と歌詞の解釈を話すのも、上下から挟み込むピアノの煌びやかな響きと縦横無尽なコーラスワークがそういった連想をはたらかせるからだろう。

Wild Lifeでは、種子田健の跳ねるようなベースラインと阿部薫のスウィングするリズムによって、本来スタジオバージョンではミディアムバラードという趣もあったこのStay Goldをミッドテンポのポップソングに生まれ変わらせていた。

そのリズムセクションの違いを最も感じ取っていたのは宇多田ヒカル本人様である。この曲の演奏中は笑顔を見せる度々だったが、その悪戯っぽい表情(MCで"いーだろー"って言う時みたいな奴ね)のウキウキさ加減が、何か違っているようにみえた。

Stay Goldの生歌唱といえば、うたばんで一度あったきりか。あの時は(TBSはいつもそうだが)豪華なセットと良好な音響をバックにしっとりと歌い上げていたように思う。

そしてもうひとつ、In The FleshでのStay Goldがある。公式な音源は未だ存在しないが、拙い記憶を手繰ってみれば、同じくベースの存在が楽曲の輪郭をより明瞭にしていた印象はあるものの、光の表情は寧ろより大人っぽいものだったような気がする。

Wild Lifeでみせていたような、茶目っ気たっぷりな笑顔より、もっとこう落ち着いた優しい感じがしたような。

兎に角、リズムセクションが変われば、ヒカルの歌唱アプローチが変わるのみならず、そのみせる表情まで変わってくるのだ(断言しちゃおっと)。バンドのメンバーの人選とはそれ程に影響力の大きいものなのである。特に、DVDを何度も見直すような我々みたいな人種にとっては。

先述のように、Stay Goldはバラードと呼ぶべきかどうか迷うような、優雅なメロディーと肌理の細かいリズムビートが同居した楽曲である為、演奏者の解釈による変化が他の曲より前面に出やすい。

前回のエントリーでも触れたが、阿部薫はバラードには興味がないのだろう。技術的な水準を考えれば、叩けないというより叩くなら余計な事はしないでおこうという感じか。

そんな彼にとって、叩き方ひとつでバラードにもポップソングにも変化(へんげ)するStay Goldを眼前にした場合、よりビートを強調して且つスウィングさせ軽やかに跳ねるような曲調に仕上げるのは必然であったのではないか。この曲には、彼の趣味嗜好みたいなもんが非常によくわかるカタチで封じ込められているように思う。

そして、ヒカルの新たな笑顔を引き出した事、何よりぐっちょぶでした。これだけ彼を絶賛するのも、ひとえにヒカルが楽しそうだったからなんですよ、ハイ。