無意識日記々

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甘え

普段から「甘えるな」とひとに言わない事にしている。自分が人一倍甘えん坊なものだから「おまえがいうな」状態に陥るのが目に見えているというのもあるのだが、何よりもこの一言の効能が以前より薄れてきていると感じているからだ。

昔は鬱状態に悩んでいる人にも「たるんでる」「甘えるな」と言っていたのかな。この種の精神疾患についてのガイドラインが定まってきたのは1970年代以降だった筈だから、まだまだ半世紀経過していない。今では、投薬治療にせよカウンセリングにせよ技術やノウハウの蓄積が進み、件の疾患に悩む人々への処方もできてきている。こういう状況下では「たるんでる」「あまえるな」と指摘する事はほぼ無意味で、迅速に専門医に相談を持ち掛けるのが得策である。

具体例ひとつで一般論を展開するのも気が引けるが。何を言いたいかというと、一昔前は精神論で対処していた(できていたかどうかは別として)事柄が、今では様々な技術の発達によって、心理工学的なアプローチや医学的な処方で随分対応できるようになった、という話である。

そもそも、「甘えるな」という一言には、対処法として何の具体性もない。不眠で悩む人に枕を変えてみたらどうかとか睡眠薬を飲んでみたらどうかといった助言をせずに「甘えるな」といっても無策この上ない。

そう考えると、この「甘えるな」と他人に投げかける事そのものが相手に対する甘えなのではないかと思えてくる。何の具体的な処方も示さず、ただ相手のやる気や精神力に期待している訳だからこれを相手に甘えると言わずして何というか。ただひとつ普通の甘えと違うのは、発言者が当該の課題をクリアしているという事だ。つまり、「こっちができてるんだから、そっちもできるようになれ」という訳だ。これは余程両者の間に信頼関係が成立していないと意味を為さない一言だろう。

自分ができているかにかかわらず相手に発破をかけるのが「頑張れ」なら、自分ができているからお前もやれというのが「甘えるな」のひとことなのだ。

前振りが長くなった。ここにひとり、「甘え」についてグダグダと悩んでいる(悩んでいた)人が一人居る。『中途半端それこそ甘えかな』とか『この身はいつか滅びるものだから(人生)甘えてなんぼ』とか歌っている人、宇多田ヒカルである。

他にもインタビューで「最近の若いもんは甘ったれてる」とか言っていた気がする。そらあんたの人生振り返ったら常に同年代の生き方なんてあまっちょろいもんだったんだろうなぁとは素直に感じる。Wild Lifeに至ってはプロジェクト全体の統括者で、それ普通なら40〜50代の人間がやる事だもんね。

こういうセリフを吐く時のヒカルは基本的にオッサンであって、先に歌詞として挙げた『甘え』に垣間見せる女性的な弱さと強かさ、即ち強弱とは相反するようにみえる。が、これは同じひとつの事の裏表だろうと言いつつ時間切れなのでこの続きはまたいつか。