無意識日記々

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甘えん坊

許し、といえば嵐の女神が思い浮かぶ。

この歌では、許しとは与えるものだ、という観点に立ちまず許しを与えるのだが、誰に与えるかといえば自分自身に対して、である。

そのまま素直に読めば、次の『お母さんに会いたい』と告げる事、こう口を開く事を自分自身に対して許した、という事だ。

それまで光は、"この程度の事"すら自分に許していなかったのである。いや、あまりにも幼い頃からその想いを封印してきたせいで、それが禁忌となっている事に気付いてすらいなかったのではないか。

ただ、それだけ長年抑圧されてきた想いを解き放っただけに、そこに"甘え"を見いだすのは全く難しくなってしまった。

小さい幼子が「お母さんに会いたいよ〜」と駄々をこねるのは、場面を選べば既にそんなに甘えだとは思われない。会いたいか、そりゃそうだろうねぇてなもんである。少しずつ大きくなるにつれ、そういった台詞は言わなくなっていくし、口に出したらまぁ少しずつ「いつまでも甘えただねぇ」という評価になっていく。そうやってまぁ人は成長してゆく。

光の場合はそれを真っ先に抑圧してしまった。そして周囲に甘えるという選択肢を消してしまった。その結果が、"誰にも文句を言わせない"キャラクターの誕生である。成績はオールストレートAの優等生で、親にも迷惑をかけない。スタジオで宿題をする生活になったり、そこで"歌ってみて"と頼まれても、内心はともかく駄々をこねる事はなく受け入れたのだろう。

音楽活動においてその"周囲に文句を言わせない"性格は大きく結実する。初期の特大ヒットの要因は、周囲を見回しても誰も宇多田ヒカルにケチをつける人が居なかった事が大きい。誰にきいても絶賛している、そんなに凄いのか、なら買ってみよう、というサイクルがバブルを極限にまで巨大化させたのだ。

光の性格が、音楽的な"つけいる隙のなさ"を生んだといっても過言ではないかもしれない。周囲の目線に目を光らせ、というか、自らの目が、どの他者に対しても甘える事を許さない厳しさに満ちていたといえるだろう。更にその厳しさが、幼少の頃からの筋金入りであった為、本人ですら気がつかない程にそれが自然な状態へと昇華していったのではないか。

その反動、といえるかはわからないが、以後光は、半分は加齢通りに順調に大人へと成長する一方で、もう半分はぼくはくまに帰結するように、素直に、幼くなっていった。

即ち、光にとってアーティストとして自分自身を掘り下げる行為は、少しずつ素直になっていく事というとてもシンプルなプロセスだったのだ。Wild Lifeでも『素直になるのは気持ちのいいこと』と真っ正面から肯定していたが、それは嵐の女神に辿り着いたが故の境地だったといえるかもしれない。



まだ続く? そろそろわからない、かな。