無意識日記々

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愛のアンセム賛歌

Wild Life、愛のアンセムもまたピアノバラードだった。スタジオバージョンのジャズ・サウンドをそのまま再現するには、楽器も人も専門を用意せねばならず、物理的に無理だった、というのも大きいだろうし、セットリスト全体の中でもっと聴かせるバラードを増やしたいというのもあっただろう。

この間もAnother Wild Lifeのセットリストを考えていた時に感じていたのだが、ヒカルのレパートリーには、その絶品の歌唱力をじっくり堪能できる曲は寧ろ少ない。本人に歌唱力を見せつけようという意識がサラサラないからだろうが、LIVEとなると曲はもとよりヒカルの生の歌唱力にも期待して聴衆は集まってくる訳で、そうなるとセットリストはアルバム構成とはまた違ったバランス感覚を植え込まなければならなくなってくる。

そういった事情から愛のアンセムはピアノバラードとして誂え直されたと思われるのだが、果たしてその結果は頗る好評だったようだ。

元々、ジャズ・バージョンは無理矢理といってもいい位にSpainのサウンドシャンソンに当てはめたものだった。その為、コード進行は歌に対して綱渡り気味になっている。

一方、ピアノバラードでは余計な事など考えず歌とピッタリくるコードを当てる事が出来たので、メロディー全体の流れが聴き手にすっと入ってきやすかった。そういえば愛の賛歌ってこういう曲だったよねと改めて思い直した向きもきっと多かった事だろう。

当然、そのコード進行に合わせて歌う方も格段に気楽だ。妙な音の組み合わせで流れを見失う虞もない。

斯くして、Wild Lifeでの愛のアンセムはヒカルの伸び伸びとした歌唱によって素晴らしいパフォーマンスに結実したといえる。"工夫のない、ただのカバー"にする(戻す)事によって、歌手としての役割に徹する事が出来たのだ。

また、この曲の歌唱の技術的なハードルの低さによって、如何に普段のヒカル作曲の歌たちが"difficult to sing"なのかがよく伝わってくる。次のSAKURAドロップスの時の集中力の表情は愛のアンセムとはまるで違った険しいものだ。変な言い方になるが、この曲をここに配する事によってヒカルはうまく中休みをとれたのではないだろうか。

度々、こういう機会を設ける事は重要である。ヒカルの歌唱力には時折疑義が投げかけられるが、普通の歌を唄う場合にはやはり抜群に上手い。本人に技術をひけらかす意識が皆無なのだからそういった疑義を差し挟まれる事もある程度は織り込み済みだろうが、そういった認識を氷解させただろう事においても、愛のアンセムをこのバージョンで披露した事は大正解・大成功だったと思う次第だ。