無意識日記々

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成功のジレンマ01

Webの隆盛によって、英語と中国語(と一括りにしてよいのかはわからないが、取り敢えず)の重要度はますます増しているように思える。単純に、使ってる人間が多いので主流になっているというだけなのだが、特に英語の方は事実上の世界標準(デファクトスタンダード)になっている。コンピューター言語も多くが英語ベースだしね。

日本と日本語の特殊性は今まで何度も指摘してきた通りだが、この話題を何度も出すのは昨日も触れたように光が日本語と英語の両方で作詞をするからである。

現在、海外の市場で健闘している日本発のバンドといえばDir En Greyが挙げられるだろう。彼らの場合、グロウル系のヴォーカリゼイションも採り入れているし、そもそも歌詞よりサウンドが重視されるシーンで人気を獲得しているので、日本人である事や、日本語での表現などは余り弊害にはなっていない模様だ。といってもそれはあクマで数字からみた結果論に過ぎず、現実の当人達の苦労は知る由もないが。

光の場合基本的に歌モノで勝負している事、それに英語は半分母語でありアメリカデビューは"国内デビュー"であった事を鑑みると、英語で歌う事の意味づけは独特のものがある。つまり、国際的な展開、地球規模の活動を視野に入れなくても英語で歌う理由が在るのだ。

今の、いや今までの光はどちらかといえば日本寄りの生活をしてきたとみるのが妥当だろう。これは単純に、仕事のオファーが米国より日本の方が多かったからだ。もし日本で人気が出ていなかったなら、当初の予定通り(?)米国で活動を続け、あちらで先に成功していたかもしれない。ある意味、日本での極端な成功が光の米国での活動の機会を奪い、光を"日本人化"したとも受け取れるのだ。後付けの話に過ぎないけれど。

昨日興味深いツイートを頂いた。主に70年代に活躍したGodiego(我々の世代はTVドラマ西遊記銀河鉄道999の主題歌で有名だろうか)は、メンバーの半分が日本人でない国際的なグループだったが、英語で歌っていたにもかかわらず日本で予定外に成功してしまい、海外進出の機会を失ってしまった、という話だ。

これは示唆に富んだエピソードである。米国国内での成功は、多くの場合そこから地球規模の活躍に繋がっていく。英語が基本であり、エンターテインメント産業の中核として音楽(の評判)を輸出してきた国、それが米国だからだ。

しかし、日本はある意味これと真逆である。日本国内で成功し、更にその期待に応えていく場合、日本語で歌い日本市場向けの音楽性にブラッシュアップしていかないといけない。日本市場に特化すればする程、他の国では売りにくい音楽性にシフトしていかざるを得ないのだ。逆に、海外志向で英語で歌い音楽性もそれにそぐうものにしていくと日本国内では難しくなっていく。LoudnessDir En Greyの日本国内での知名度を考えれば何となくその空気は感じられるはず、だ。

長くなってしまったので次回に続く。