無意識日記々

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成功のジレンマ02

米国では国内での成功が世界的な成功の足掛かりになる可能性が大いにあるのに対し、日本では国内での成功を追い求めるなら海外での成功はある意味諦めなければならない、或いは、海外での成功を追い求めるなら日本国内での成功は望めない、という二律背反が存在する。そこら辺が前回の話であった。

これを克服するにはどうすればよいか。歌の世界での言葉の壁は、前に指摘した通りメロディーとの結び付きと絡み合いにより、他ジャンルのエンターテインメントより遥かに高くなっている。"翻訳"という手段が効かず、その国の言葉でカバーし直して貰わないといけない。ある意味、それは最早ヒカルの歌ではない。

光にとって光のファンは、日本語を話すファン、英語を話すファン、その2つ以外の言語を話すファンの3つに大別される(跨ってる人も居る訳だが、取り敢えず)。このうち、3つめの他国語ファンに対してどうアプローチをするかが鍵になる。

日本語で歌う場合は、日本語を話す人々に向けて、或いは日本語を話す自分に向けて歌う。英語の場合も然りだ。しかし、他国語ファンに対してはどういう気持ちで歌えばよいか。

ここが英語の強みである。何の話かといえば、日本のみならず、ありとあらゆる国に於いて"洋楽"が存在するのだ。それぞれの自国の言葉で歌われる"邦楽"のヒットソング、流行歌と共に、規模の多少はあるにせよ必ず英米発信の、英語で歌われる"洋楽"のマーケットがある。ネットでチャートを見られる総ての国がそうである。

つまり、光は日本国内に対しては日本語で歌えばよいし、米国々内では英語で歌えばよい。それぞれの自国語での"邦楽"、つまり国内産音楽を提供する。しかし、それ以外の国にたいしては最初っから"洋楽"として歌えばよい。この場合は英語である。ここがややこしい。米国々内の言語である英語と、国際的音楽市場の"公用語"としての英語。英語には2つの側面があるのだ。

恐らく、この2つを意識する事で光の作詞は幾らか変化する筈だ。英語が母語である人たちに対しては歌詞で"話し掛ける"事が出来る。しかし、英語を外国語として聴く、英語の歌を"洋楽"として聴く世界中のファンは、幾ら何でも日本人ほどには苦手でないにせよ、やはり意味を解するには多少の困難があるだろう。そういった世界中の"大多数の洋楽ファン"にとっては、歌詞のメッセージ性より、発音の語呂の良さやサウンドとのマッチングなどの方が重要になってくる筈だ。

それを考えると、UtaDA1stのEXODUSはサウンド重視のインターナショナル/グローバル志向、2ndのTiTOは歌と歌詞重視の米国々内志向だったともいえる。まぁ極論だけどね。2ndの狙いが"メインストリームポップ"であり、まずは米国々内で足元を固めてから、という雰囲気のプロモーション体制だった事を考えると、結構意識的だったのかもしれないけれど。

という訳で、光が第3のファン層に対してアプローチする気であれば、全世界的な"洋楽"スタイルの音楽を創造する事になるだろう。そういう意識が強まれば、またEXODUSのような意匠を凝らした作品が出来上がるかもしれない。そして、その路線でいけば、日本に於いても"洋楽ファン"を取り込む事によって、幾ばくかの成功を収められるかもしれない。

しかし、それでもまだまだ物足りないだろう。追伸的に、そのジレンマを克服するウルトラCについて触れておこう。

その手段とは、世界中で"日本語の歌"を聴く習慣を作ってしまう事だ。多くの国に、英米母語である英語の歌を、内容がよく理解できないまま聴いている層が居る訳だ。それなら、同じように世界中で"何を言ってるのかよくわからないけど日本語で歌っている歌"が聴かれている世界を妄想したっていいだろう。"外国語の歌"のスタンダードとして、例えばフレンチ・ポップスのようなポジションを獲れればいいのだ。

その為には、歌詞の意味なんてわからなくても魅力的なサウンドを作れる日本人が必要になってくる。それが成し遂げられる人といえば…やっぱり宇多田ヒカルが第一に来るんじゃないかなぁ。今までヒカルは"英語ネイティブというアドバンテージ"によっての世界進出の可能性を取り沙汰されてきた訳だが、純粋に世界レベルのソングライターとしての資質で世界を切り開いていく能力があるのだから、それによって"日本語による音楽"を聴く習慣を世界中に植え付けられれば…夢を見るにも程があるが、せっかくのアーティスト活動休止期間なので、偶には大言壮語もいいんじゃないかな。

なので、私の意見としては、兎に角いい曲を作って、その都度それに合う言語を当て嵌めていく、という究極のいきあたりばったりで作詞作曲をして、そのまんまアルバム作っちゃえばいいと思う。日本語の曲、英語の曲、日本語に英語を交えた曲、英語の中に日本語が飛び出してくる曲、フランス語をフィーチャーした曲、なんでもアリでいいのではないか。制限がなくなる分創作活動は激しく難しくなるだろうが、それもまたチャレンジだろう。機が熟したら、是非挑戦してみて欲しい。