無意識日記々

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太陽と月の子

Eclipseに続く曲、という事はそこには燦々と光り輝く太陽とその舞台である果てしない大青空が広がっているのだPassionの世界では。

改めて、不思議な感触の楽曲である。淡い光が粒になりシャワーになり散り広がり溶け合い別れ合いまた融合していくような、そんなあらゆる種類の光に満ち溢れたサウンドなのに、どこか「熱さ」を感じさせない。「暑さ」と言った方がいいかな。確かに、熱と光は別物である。太陽光が輻射熱を帯びている為光に当たると温かくなる、と錯覚しがちだが光自体に熱はない。(光子自体の運動量とエネルギーを考える事は出来るけども、ここではいいだろう)。光は、純粋に光なのである。

もしこの曲がPassionでなくてpassionだったとしたら、もっと熱を帯びた、それこそ"情熱的な"曲調に、なっていたかもしれない。例えばLettersのような。Single Versionのラストには、そういった"passion"が込められている。

しかし、実際にはこの曲はPassionになり、Eclipseから光を受け継ぐ役割を果たした。同じくキングダムハーツの楽曲であり、同じくアルバムのラストを飾った曲の名もまた「光」である。この2曲は各々PVのコンセプトを英語曲のタイトルが担っている点も以前指摘した通りだ。光のレパートリーの中で、光とPassionはとても近い位置に居る。

しかし、何かが違う。熱である。光も光輝く楽曲であるが、そこには熱がある。光ると共に熱さか暖かさがある。Passionは、冷たいというよりは、明るいのに熱くない、といった具合だ。この感触を伝えるのに毎回苦労してきたが、今朝漸くそれに近い体験をした。金環日蝕の瞬間である。前回書いた通り、ぼんやりと薄明るい曇り空の朝の陽光の中、突然"月の光"が差してきたのだ。何を言っているかわか(以下ポルナレフにつき略)。明るさと、熱さのなさを兼ね備えたその光は朝の中の夜の光であり、まさに太陽の中の月の光であった。Passionのもつ光は、どこかそんな、太陽の中の月の光を思わせる所がある、と今日からは付け加えられるようになった。一歩前進の私の表現力である。

しかし、尚まだそれでも足りない何かが潜んでいるという感覚も抜けない。月の光とはどこかひんやりとしていて常に影の冷たさを感じさせるのだが、Passionの光は辺り一帯をクマなく包み込んでいて淀みない。透き通るような、しかし尚そこから光が生まれいでているような純粋な光の源。それはまるで月と太陽のアイノコであるような。月と太陽が重なった瞬間にPassionが生まれたイメージを光が持っていたとすれば、この曲順にも納得である。果たして、どうなのだろうか。