無意識日記々

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海路の歌詞の思考回路

ULTRA BLUEづいている。海路の話を少しだけ。

題が海路で、歌い出しが船だからそれでイメージは決まってしまうのだが、この、『船が一隻 黒い波を打つ』という冒頭の一節以外、海路と直接関連付けられる歌詞は全然でてこない。海路とかくれんぼって何なんだよと。

この歌は、そういった理屈で捉えてもよく味わえない。押し寄せては引く波のような少ない言葉の数々が与える茫洋としたイメージの海の上でぷかりぷかりと気持ちを浮かばせながら音に浸るのがいい。

しかし、それはそれで味気ないという人も居るだろうから、少し理屈めいた解釈も記しておこう。


この歌は、小さな地球の物語だ。誰かの願いが叶うころの最後に登場した"彼女"である。


『黒い波を打つ』というのは、オーソドックスな解釈でいえば夜の航海の事だ。海が暗くなっているから波も暗い。

しかし、ここでは船を地球とみたてよう。黒い波とは宇宙空間の事になる。

『かくれんぼ 私は果てしない』とは、つまり、地球と月と太陽が、昼になったり夜になったり、日食になったり月食になったりして、姿を現したり隠れたりする様子を指している。それを何十億年も続けていれば果てしないわな。

だから、『春の日差しが私を照らす』も、地球が太陽の光を浴びている事だと解釈できるし、『今日という一日も最初から決まっていたことなのか』というやや唐突に思える一節も、地球がまた一日自転して月が隠れ太陽と向き合い太陽が去りまた月と向き合う、という決定論的なプロセスを指している。天体の運行の正確さをみると、確かにあらゆる物事は予め総てにおいて定まっているようにみえるものだ。

だから、最後の『次は君次第』という一言は重い。天体の運行を比喩にして運命に翻弄されて生きてきた人間(それが『晩年のある男』だ。若い頃に厳格な父に反発し、俺は自由に生きる、運命を変えてみせるさっいきがっていたが、こうやって親父の歳を追い越してみると、なるほど、人生というものは運命に強く定められているものだなぁ、若い頃に反発した親父と、そんな話をしてみたいなぁ、と彼は間際に思っているのだ)を描きつつ、まだ明日が来ていない『君』に対して、新しい運命を説く。

かくれんぼとは、昼と夜、太陽と月と地球の姿の隠し合い、現し合いだ。かくれんぼを経る度に、新しい1日がまた始まる。明日に望みを託して早めに眠るWINGSを次に控え、まさに太陽と地球と月のかくれんぼそのものであるEclipseへと繋がっていく。そして、Passionは大木の下で今まで生きてきた人生を振り返る老人の物語だった(当初のイメージではね)。海路は、ULTRA BLUEで最後に作られた楽曲だけあって、斯様にアルバムの後半を総括する歌詞世界を持っている。画集と呼ばれる作品を作り上げたヒカルが、額縁を聴き手に任せるストーリー。最後の最後まで、本当によく出来ている。