無意識日記々

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世にも稀なるセカイ系の体現者

セカイ系という思想は現代人の心理を…とか何とかいう解説はWebに幾らでも転がっていそうだからそちらに任せるとして。個人の内面が世界の趨勢を左右するというのは、要は因果関係の誤解である。外界の気温が低く且つ自分の気分が落ち込んでいる時、セカイ系の世界観での解釈は「私の気分が落ち込んだせいで世界の気温が下がった」という解釈になる。常識的な理解だと「寒くなってきたからどうにも気分が落ち込むなぁ」になるのだが。

シンプルに誤解と書いたが、実際はそうそう簡単に切って捨てるような思想でもない。これは受動意識仮説といってここ半世紀位で…あとはググれ。

でだ。宇多田ヒカルが何故この、碇シンジ君のセカイ系的世界観に共感するのかといえば、彼女の場合セカイ系が誤解でも仮説でもなく過酷な現実だったからである。思い出してみよう、髪型と眉型を変えただけで、何万人もの人間がその是非について話題にしていたのだから。まさに「私の気分が変わったから世界の天候が変化した」状態である。皇室に生まれて小さい頃から鍛えられているなら兎も角、NYと東京の間を行き来して育ちどこかアウトサイダーな気分が抜けなかった人間が、その一挙手一投足で"世界を動かす"ようになったのだから劇的な変化だ。それは、この間まで慎ましく過ごしていたシンジ君がいきなり父に「エヴァに乗れ」と言われたのと似たような感覚だったかもしれない。街を歩いたら、私は知ってる人1人も居ないのにみんなはみんな私の事を知っている…今声をあげたらきっとみんな一斉にこちらの方を振り向くだろう…今はもうそういう「運命と和解」しているそうなのでそんな風に考えなくなってはいるようだが、自身の成長過程にそうい
った状況が影響を及ぼした側面は否めない。それはもう、だから、EVAの世界観に共鳴するのも致し方ない。

そういった経験があるから、桜流しやBeautiful Worldにセカイ系の世界観を(それぞれ違った手法で)盛り込む事に長けていた、と言ってもいいだろう。他の誰からの借り物でもない、自身の経験と実感に基づいているから説得力が段違いなのである。