無意識日記々

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※名前表記の話がムダに長過ぎた

今日は桜流しのビデオクリップ配信開始日。楽曲配信が金曜深夜、土曜日になったのは映画封切り日の都合だろうが、今回はきっちり水曜日発売だ。つまり、販売計画の骨子としては楽曲配信の2週間後にビデオクリップ配信、更に4週間後にDVDシングルの発売となる。こういう順序とスパンにした理由は何か、直接梶さんに訊いてみたい所だがまずはその結果がどうなるか、見てからだろうね。

このビデオクリップの内容については、最初GBHPVに引き続き宇多田光の監督作品かと思った程素晴らしいものだが、この作品は案外楽曲からの独立性が強い。一例を挙げれば、ここでは桜は流れないし開いたばかりの花が散る事もない。歌詞の世界をそのまま映像化した作品とは違いがあるのである。当欄ではまずは楽曲自体に焦点を絞りたいので、このクリップについての話はDVDシングルが発売になった頃にでも。いや勿論配信クリップは購入しましたけれども。

前回触れたように、今回の桜流しのアレンジメントは複雑さと微妙さが今までにない質のものとなっている。その理由としていちばんに考えられるのはまずは作曲者としてヒカルと共に名を連ねているポール・カーター氏の存在である。

※ 本来プロのミュージシャンの日本語表記に関してはレコード会社発表のものに準拠するつもりでいるのだが彼について日本盤が何か発売されているという情報を私は持っていない。そういう場合はそのまま原文表記でPaul CarterとするべきだがそうなるとヒカルについてもUtada Hikaruと書く事になる。現時点ではそこまでするつもりはないのでPaulの方を合わせてカタカナ表記でいく事にした。これは、従って、ミュージシャンの正式な表記ではない。彼の名前がそのまま英語読みでいいとも限らない。ロンドン出身だとすればそれでいいんだけど。長々書いたが、用はPaulと打つよりポールの方がタイピングが楽なんでそっちにしますという話。(笑)

彼はストリングスアレンジメントも手掛けていて、クラシック経由でしっかり音楽理論を学んできた可能性を示唆させる。今までにない複雑さは、そういう彼の資質が楽曲に反映された結果であり、その貢献度の大きさから作曲者クレジットにまで名を連ねるようになった。それが桜流しの玄妙さの源泉である、という帰結が一つ。

そしてもうひとつの解釈が、ヒカルの手によるものだというシンプルな、いつも通りの解釈だ。そもそも、いつどこでポールと知り合ったのか。これは、嘗て指摘したようにヒカルがロンドン滞在中に音楽理論を学んでいた可能性について考えなければならない。音楽大学をはじめとした各種学校に通っていたかもしれないし、誰ぞ高名な音楽家に個人的なレッスンを受けていた、師事していたかもしれない。ポールはそういった中で知り合った学友、同朋とも考えられる。だとしたらたった1年余りで学んだ事をここまで作曲に反映させている事になるが、ヒカルなら有り得るかもと思ってしまうから困ったものだ。真相や如何に。まぁどっちだろうが桜流しの素晴らしさは揺るぎないのではあるけれど。