無意識日記々

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特に読む必要のないエントリ@桜流し

う〜ん、完全に「桜流し病」である。桜流しと名前がついたら何でも買ってしまいそうで怖い。iTunesStoreにビデオクリップだけ買いに行ったつもりだったのだが気が付いたら隣にあったオルゴールバージョンとキラキラバージョンも購入していた。何を言っているのかわからねぇt(ry

本当にヤバいな、これは。桜流しという銘菓が発売されれば箱買いしてしまいそうだし、桜流し保険があれば加入してしまいそうだし、桜流し教があれば入信してしまいそうだし、「桜流しの方から来ました」と言われれば消火器を買ってしまいそうだ。これではいけない。

元々光は「宇多田ヒカルのファン」なんて要らないのである。私の書いた曲だから応援したいとか思って貰いたくないのだ。一曲々々をその都度聴いて、ちゃんと好き嫌いを言って欲しいのである。真剣な作曲家なら当たり前の事なのかもしれないが、宇多田ヒカルというバイアスで好意的な評価をされても嬉しくない。Deep Riverのロングインタビューの時などにも言っていたが、何気なく耳にした人が「あ、いいかも」なんて風に好きになってくれるのが嬉しいのだ。何ヶ月も待ち望んだ挙げ句曲をリリースした途端に絶賛だなんて…いやそれ私ですがな。

うーん、しかし、この曲の素晴らしさを否定するのは私にはとても難しい。耳がそれを許さない。確かに、ヒットするような曲ではないが…って25万ダウンロードおめでとう…十分ヒットしてるか…うーん…

First LoveやFlavor Of Lifeのような国民的名曲ではなかった、宇多田ヒカルという看板を背負っている以上、新曲を出すからには世界記録を打ち立てねばならな…ってそういう話はどこまでも「他との比較」でしかない。過去との比較でしかない。しかし、楽曲というのは世界にその曲と私しか居なくても心を震わせるものでなくては、と普段から考えている私のような人間にとっては他の曲と較べてキャッチーさが足りないとか曲構成が非定型的である、という話は、分析や解釈の手段にはなっても「評価」の基準たりえない。あクマで、こちらの心をどれだけどのように打ち震わせてくれたかを感じとり、漸くそこからその度合いを他の楽曲と比較する事で、この曲はいい、こちらはそうでもない、あれは好き、それは退屈、という風にいえる。要は自分の耳と心次第。自分の耳と心に正直になるならば…やはり桜流しは素晴らしい。困り果てる。

将来、「2012てどんな年だった?」と訊かれたら「桜流しの年」としか答えないだろうなぁ。オリンピックとかあったのよ…銀メダルとかとったのよ…春先のDream Theater素晴らしかったじゃないの…EVAQも上映されたんだから…って映画まで忘れる気か!?(笑)

いやホンマ、この前EVAQ2回目観てきたんやけど、どこか上の空というか。そして桜流しを聴きながら、「やっぱりCasshernと誰願叶の関係性と同じだよなぁ」と納得して終わるという。ここまで(私の中で、だけかもしれないが)存在感があっていいのだろうか? Beautiful Worldと序破の関係は、もっとこうバランスが取れていたというか健全だったというか。「100%自分の好みという訳ではない」という謙譲の精神が上手く作用していた。今回は更に「EVAQの為に」というのを徹底できる状況にあった。なにしろ人間活動中、宇多田ヒカルという看板とかそのキャリアとか全く関係なく、本当に映画の為だけのスポット参戦、ピンチヒッター。幾らでもEVAに捧げた楽曲を作れた筈である。しかし桜流しは、私にとってまるでEVAQの方が長いイントロのようにすら思える。う〜ん、なんとかせねば…


…ていうてるだけでエントリー終わってもたがな*1  次からきっちり解説に移らねば。大丈夫かな…。

*1: