無意識日記々

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熊淡弐―古典

番組1時間全編を通じて、しかし、いちばん驚いたのは桜流しの放つ美しき「妖気」であった。歌、歌唱だけならHikaruと比しても聴くべきところのあるトラックが居並ぶ中、こと楽曲自体に関しては、あの超々スタンダード・ナンバーのAmazing Graceが霞むほどに桜流しの「クラシック感」は図抜けていた。時代を超えて魅力を放つという意味である。

ここら辺が、難しい。ダウンロード数や、EVAQで流れる事を考えると、桜流しは非常に多くの人々に知られており2012年最も聴かれた曲の…そうだな、TOP20くらいには入るかもしれないが、だからといってこの曲が邦楽のスタンダードナンバーになる、という事はなさそうだ。それはつまり、残酷な天使のテーゼのように、毎年カラオケランキングの上位に名を連ねるといったような事だ。

現代日本」という"偏った"価値観の元では、出来得る限りの評価をあらゆる楽曲に対して適切に付するのには限界がある。どうしたってその時の流行に依って取捨選択を施し衆意を問うという事をしなければならない。本当はこんなにいい曲なのに…と臍を噛む場面は幾らでもある。

しかし、だからこそ"最大限の評価"を得られるその時その場所に辿り着くまで、楽曲は生き残らねばならない。それが、出来るか。例えばヒカルのレパートリーでいえば、Passionは、キングダムハーツ2とUtada United 2006を通じてその地位を確立していった。もし、評価の基準がオリコンチャートのみだったら「宇多田史上に残る駄曲」という烙印を押されたまんまだったかもしれない。いや尤も、未だにピンときてない人はピンときてないだろうけど。

桜流しは、残念ながら、Popではない。メロディーにしろ曲調にしろ曲構成にしろ、特異性が満載で、今の日本で万民に受けるとは私ですら思わない。しかし、こうやってラジオで流され古今東西の楽曲に囲まれた中で耳にすると、その特異性の際立ちが存在感となって、響かない人の心にすら強い印象の痕を残すような気がする。やはりラジオでかかるというのは違う。Hikaruも、ラジオ持ってないとか言わないで、災害時の対策という意味も含めて一台位所持しといた方がいいんじゃないかなぁ。