無意識日記々

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つかずはなれず

そろそろ桜流しのミュージックビデオについても何か書こうかなと思っているが、案外アプローチが難しい。映像と歌の組み合わさり方というのは千差万別で、今回のをそれらの中にどう当てはめていけばいいか、よくよく検討してみなければいけない。

前作のGoodbye Happinessのビデオはコンセプトが明確だった。本来は、歌手に憧れたりしているアマチュアさんが作る「歌ってみた」動画を本人が最初にやってしまおう、というアイデアだ。この場合、ぶっちゃけ歌う歌詞は何でもよかったのだが、『覚えていますか』や『ありのままで』といった一部の歌詞を拾い上げる事で映像の必然性を強化していた。なかなかに策士というか、熟慮のあとが窺える。

桜流しは、どういったタイプだろうか。日本の自然と街並みを移ろうように映し出す流れは、ある程度歌詞に準拠しているようでもあり、少し離れているようでもあり。ここらへんがミュージックビデオの一般的な特徴ともいえる。

例えばtravelingは、歌詞の中で乗る乗り物はタクシーだが、PVでは列車である。何かに乗って遠くへ行こう、という抽象的なコンセプトを取り出して異なるアイデアを盛り込んだ。もっと特徴的なのはCan You Keep A Secret?で、秘密というコンセプトを軸に映像だけで独立したドラマを演出した。

Autaomaticのテーマは「低予算」。特に歌と黄色い椅子に関連性はなく、エピソードといえば立つとセットの粗がみえるからと中腰で歌ったのが話題になった。

要は、ビデオというのは基本何でもありなのだが、だからといって歌詞そのままを映像化するケースもなければ、歌詞を全く無視した映像を撮る訳でもない、「つかずはなれず」の距離感を、どこらへんで決着させるかというのがポイントになってくる。

桜流しにも、独特の距離感がある。花は映るが散らないし、居なくなった"あなた"を匂わせる場面もない。一方で街並みというか家屋はしっかり映され、産声に至っては殆どそのままズバリである。いや、案外泣いてないんだけどね。映像のコンセプトとして、どちらかといえば喪われた命より生まれてきた『私たちの続きの足音』の方に重点を置いた作品となっている。

これが、EVAQとの最大の違いといえるかもしれない。Qでのシンジは、何から何まで失ってゆく。信頼も愛情も情熱も何もかも無くなって抜け殻状態で映画を終える。桜流しは、そこから3人が歩き出す場面で流されるのだ。用途の違いと言ってもいい。次回はそこらへんの話から。