無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

例によって前フリすら終わらぬエントリ

メディアとの付き合い方というのは、時代が下った今となっても相変わらず難しい。ヒカルが毎度憤ってきたように、人は何故か、自分が好きになった/信じている筈のミュージシャンやらアイドルやらの直接の発言より、何処の誰が書いたんだかわからない新聞や雑誌の記事の方を信じる。成る程これでは新聞に煽られて世論が戦争に傾く筈である…ってこれは逆の側面もある。新聞が大衆に迎合した結果戦争礼賛に至ったのかもしれない。当時の記事を文章として読むだけではどちらかはわからない。投書欄だって選別されているだろうし。

そういう意味では、この"伝統"は、新聞をはじめとしたメディアが、大衆側に阿ってくれるという"安心感"によって支えられているのかもしれない。特に、社説やコラムをはじめとした匿名記事の体裁は、読み手もまた匿名の"大衆の一部"としての側面を無意識裏に浮かび上がらせる。匿名同士の共犯関係である。そんな中で有名人たちは時に堂々と自分の名と顔を出して声明を出す。どちらが信用できるかではなく、匿名社会に生きる人間からすればそれは別世界の出来事なのだ。

そして、インターネットの登場によって匿名社会が意識化される。日本では2チャンネルが巨大になったが、それは新聞等との関係における匿名文化の正統的な後継者であったともいえる。ただ様子が違ったのは、発信側と受信側の数的非対称性だった。これは急速に是正されていき、すぐさま2チャンネルは様々な情報を虚実ない交ぜにして提供する新聞雑誌の代替者となった。今や、2ちゃんねるでニュースを知りそのニュースの反応を知り見知らぬ他の匿名と居酒屋談義に興じる風景は一部で日常茶飯事になっている。

しかしそこで今イニシアチブを取っているようにみえるのは2ちゃんねるの発言を編集したまとめサイトの方だ。これもまた匿名メディア文化の伝統で、殆どの人たちがまとめサイトの編集者の顔も名前も知らないだろう。まとめサイトが有用なのは、知りたい情報を得る為の手間暇が省けるからだが、それ以上に、内容が偏向しているからこそ注目を集めるのである。

まとめ元の実際のスレッドを覗きにいってみると、賛否両論様々な意見が飛び交っている事が多いが、まとめサイトではそれが綺麗に編集され、ある一定の方向性をもって読み手に提供される。その"居心地のよさ"こそがまとめサイトの人気の秘訣なのだが…なんだか話が込み入ってきたので続きはまたいつか。次回かどうかは、わからんねー。