無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

"重心の高いほんわりとした感覚"

さて昨日は少し暴走してしまったので今日はほんの少しだけ軌道修正。

今のヒカルの支持者には政治的な匂いも宗教的な匂いもない。社会的に利用できる要素もないしカリスマとして持ち上げられる事もない。ただひたすらに圧倒的な知名度が残るのみ、と言ったら言い過ぎなのだが、ありていにいえば、世間的にはヒカルに起こる事は「他人事」である。少数の支持者たちだけが、その動向に注目している。

これは単純に、テレビに出ないからだ。もし秋元康プロジェクトの数々が現場だけで完結していたらここまで"疎まれて"いたのかどうか。テレビに顔を出し話題になるから疎ましいのだろう。一方ヒカルはテレビをそんなに使ってこなかった。各番組に高視聴率を振り撒いてはきたんだけれど。

最初の知るキッカケとしてテレビなどの全国的な巨大メディアは有効だ。しかし、一旦知ってしまったら、それ以降テレビを主戦場としない限り別に気にする必要はなくなる。本来、そこで何が起こっていても"他人事"で済ませればよい。

圧倒的な知名度と薄い支持基盤。果たして、桜流しはEVAQなしだとどれ位売れただろうか。

一度くらい、インディーズ的な展開をみてみたいものだがそれも無理な話か。つまり、大型タイアップもなく、テレビで広告を打つ事もなく…例えばネットで自前からの宣伝のみで新曲を発表したりライブツアーの告知をしたりして、どれくらいまでいけるか。最早、日本でそれを望むのは無理なんだろうか。

過去どれだけビッグでも、すぐに忘れ去られて売上が10分の1、100分の1になるひとたちだって在る。ヒカルは、どうなるのだろう。First LoveアルバムとSCv2の売上を比較すれば10分の1だろうが元が超巨大なだけに今でも十分にビッグ・アーティストだ。何より、実力に何の陰りもみられない。周りが放っておかない、、、今後アーティスト活動に復帰しても、忘れ去られるというのは難しい。

この、重心の高いほんわりとした感覚。確かに、活動規模というのは問題ではないかもしれない。フォロワー数の多さをみれば、不安を感じる場所を間違っているのかもしれない。にしても独特過ぎるのだ。言語化するのも難しい感覚。新しいのか古いのかもわからない。

とはいえ特に不満でもないからこのままでいくんだろうな。なぞなぞは解けないまま…。