無意識日記々

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チャンクマ氏のグラサン葉巻姿が浮かぶわ

昨夜のツイートにて、くまちゃんとのコントが復活しているのを見て、少し安堵した―と書いておくのが礼儀ってもんか。要は、あんまりにも世間(ってだからどこなんだよそれ)がヒカルの事を心配するもんだから「もう大丈夫だよ」っていうメッセージだわな。まだ1ヶ月だよ。更にその後マスコミ禍だよ。大丈夫な訳なかろ。自分も含め、いつまでも「今の話題」として母の死を扱っていたら次に進めないから、少し無理してでも「遠き日の思い出」を語って今回の件を過去のものにしようとしてるって訳だ。ならば、いや、うん、いつもの通り、書いてある事を字面通り受け取って、それに乗っかっていくとしようじゃないか。


『今後、精神障害に苦しむ人やその家族のサポートになることを何かしたい。』というのを聞いて、うーんと唸ってしまった。その心意気やよし、なのは間違いないし期待感も半端でなく大きいのだが、ならばマスコミ恐怖症の見出しを出させてしまったのはどう考えればよいのか。

別に活動規模の大小なんてどうでもよくって、Hikaruが納得のいく形態で実行してくれれば…という理屈は多分通用しない。Hikaruが如何にそれを望もうと、周囲は間違いなくヒカルの「知名度」に威力を発揮して欲しいと懇願してくる。ヒカルの社会的価値は人間性でも音楽性でも知性でもない。財力と知名度だ。心も喉も頭も必要とされない。金と顔である。

そんな状況になれば、不可避的にマスコミに頭を下げる場面が出てくる。顔として広報を担当するならね。情報の流通路を押さえているシステムには、どう足掻いたってかなわないのだから。その既存のシステムを改善するしかないがそれすらも難題だ。そんな時にあのマスコミ恐怖症発言が吉と出るか凶と出るか。非常に危なっかしいのは間違いない。

ヒカルが何かしたいと願えば願うほど、マスメディアとの付き合いは不可避になる、という出来上がった現実には溜め息を吐くしかない。早めに人間活動を遂行しておいて、よかったなと思うよ。