無意識日記々

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デモマ・イッカ

うむー、火曜日の朝から書き始めたからってIn My Roomを選んでみたが、time will tellとかの方が聴き比べ所が多いではないか。でもま・いっか。

LUV LIVEのヒカルの歌唱の特徴を抽出する為に、スタジオ・バージョンに引き続き聴き比べてみたのが皆さんお馴染みボヘサマ・バージョンだ。…今気が付いたが、間にNatural Breezeがあるではないか。まぁ今回は置いておこう。

ボヘサマ・バージョンを聴いてまず感じたのはそのライブ・シンガーとしての成長ぶりだ。LUV LIVEでもしっかり歌っているが、やはり千葉マリンでの歌唱の余裕綽々さには及ばない。

「ライブシンガーとしての成長」と書いたが、ここには大きく2つの軸がある。ひとつは、ヒカルのシンガーとしての人生全体における成長。そしてもうひとつが、ツアーをやっていた2ヶ月の間の成長である。

前者の"成長"は、経験として蓄積される為彼女が生きている限り蓄積される。しかし後者の"成長"は、言い換えれば"慣れ"の事であり、ツアーが終わって間が空くとリセットされてしまう。

つまり、2ヶ月間で20回も2時間3時間のライブをし続けていると、身体がショウ全体の流れを覚えてしまう為、よく考えなくとも次から次へとステージ上での振る舞いが出来てしまうようになる。ボヘミアンサマーのDVDに映っているヒカルはまさにそれである。俗に言う"自動運転"、即ち"Automatic"である。つまり、最初は意識的にしていた活動を、無意識的に出来るようになる訳だ。

これが、自転車の乗り方であればリセットされずに一生残るのだが、セットリストの入れ替わった新しいライブツアーだと、その都度新しく覚えていかなくてはならない事がある。

例えば、ヒカルは今や"Automatic"をライブで歌うのは簡単である。元々レパートリーの中では歌うのが簡単な曲だが、それに加えてヒカルの身体がこの曲を覚えてしまっている為、新しいツアーが始まってもカンを取り戻すのは容易である。実際、WILD LIFEなどは2日間しかなかったにも関わらず見事な出来映えだった。

で、だ。これは歌手に限った事ではない。演奏陣も同じである。千葉マリンでの演奏は皆さんもう殆ど自動運転になっていて、もう余り何も考えなくとも身体が勝手に音を奏でてくれる状態になっている。この余裕の有る無しが、テイク全体の印象を左右している為、正直リズム隊の面子の違いによるサウンド云々というのは、少しわかりにくいかもしれない。出来れば、ヴィニー&ニールにも2ヶ月間ヒカルとツアーしてもらって、楽曲に慣れ切った状態でショウを撮影して欲しかったかもしれない。

それを考えると、LUV LIVEの上出来さ加減は改めて驚異的であるように思う。集まったミュージシャンたちがプロフェッショナルだったというのも大きいが、それを可能にしたギャランティーの大盤振る舞いが凄い。やはり、売れたら音楽のクォリティーを上げられるのだ。売れるっていいねぇ。

いや勿論それはヒカルの歌唱力あってこそ、という大前提ありきの話ですからね。それにしても、今回は話がいろんな道に逸れまくったな。結局In My Roomの話をしなかったし。でもま、いっかな。