無意識日記々

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死生観その1

問題なのは「じゃあ光はそうしたいの?」という点だ。日本では一度馬鹿売れしてしまった為、最早あのレベルになる事は不可能だ―本来なら、史上唯一あのレベルに達した者として挑戦権獲得第一人者として扱われるべきなのだが肝心の市場の方が存在しない。1999年といえば"音楽(CD)を買う"という行為が過去最高に"普通"になっていた時期だった。その追い風がなければあそこまでの成功はなかったのだ。

一方、海外ではこれから幾らでも成長できる。地味に地道に、ではあるだろうが"広げていく事の楽しみ"がある。勿論保証はないが、やってみるだけの可能性と価値はあるってこった。

しかし、光本人はどう思っているのか、というのが重要だ。こちらからみればあれだけ英語が喋れるんだし、英語圏及び第二公用語が英語な国でならどこでも暮らしていけるし活動していけると思う。更に今はイタリア語も習得しつつあるかもしれない。しかし、光は思った以上に日本と日本語に対する愛着が強い。ハナから、この国を後回しにするような発想はのぼってきていないように思われる。

毎度言っているように、ヒカルの立場は「邦楽市場そのものを成長させる」べきものだ。通常であれば、まだ少々早いかもしれないが、新しいレーベルを立ち上げて若手を育成しにかかるようなポジション。例えばX JAPANLUNA SEAGLAYを連れてきたように。そこまではいかなくても、EMIのレーベルを牽引し若手に投資出来る環境をレコード会社に与えられれば理想的…なんだが、アーティストのキャラクター的に、なんかそんな感じは薄いか。何よりもやっぱり、まだ本人にそういう発想がなさそうだし。

「どうしたの?」と訊かれた時に「ううん、なんでもない」と答えるのはいいが、「どうしたいの?」と訊かれた時に「うーん、なんもない」と答えられるとこちらは窮する。頂点に立った母娘揃ってこう答えるのだからこれはある意味本質的な問題ではある。こんな風に"やる気がない"ようにみせておいていざ仕事が始まると誰よりも妥協を許さずとことんクォリティーを追究する。これは一見矛盾しているようにみえるがそうでもない。したいことが最初にある人間は、その目標に達すればそこで満足してしまい、いわばそこで妥協して終わらせてしまうのだが、最初にヴィジョンが無い場合、ただひたすら目の前にある現実のクォリティーを上げようと努力し続けて終わりが一向に来ない。つまり、彼女たちを活動させるにはこちらからオファーと締め切りを―始まりと終わりを与えてあげないと何も始まらないし何も与えてくれない。最初と最後の区切りを外挿に頼らなければならない―一足飛びに言ってしまえば、彼女たちは"死生観が違う"のである。人は生ま
れて死ぬので、生きているうちに何かを、という風に考えて人は目標を立て夢を見るのだが、それとは一風変わった世界観なのだ。ハマればすぐさま皆を抜き去るが、そこにどうやって持っていくかが鍵なのである。"周囲"の力は、想像以上に重要なのだ―次回はその話から、かな?