無意識日記々

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死生観その2

「その話」をする前に、少しだけ話を戻してみる。今や壊滅的と言われている日本の大衆音楽市場、つまり一般的に言う邦楽市場の事である。

私は自分の予想を忘れていた。あと2〜3年もすれば、邦楽市場、いや、"日本語の歌"の集まりは、再び勢いを取り戻すかもしれない、というものだ。理由は単純明白で、日本でVocaloidが本格的に売り出されて10年が経とうとしているから。初音ミクが10歳になるのです。

ここで書いた事があるかわからないが、常々、Vocaloidが"本格始動"をするのは生まれてから10年、つまり2016年とか2017年になるのではないかと思っていた。

両面がある。片面は、まずVocaloidの開発技術とそれを使いこなす技術の両方が成熟するまでにそれ位はかかるだろうということ。もう片面が、その技術の成熟によって元々作曲家だった人たちが容易にVocaloidを使える環境が整うこと。この両面がともに揃うのにちょうど10年掛かるだろう、というのが私の8年前からの見立てなのです。

現時点でも、例えばTVCMにも起用されカラオケで圧倒的な強さをみせる"千本桜"などは既に日本のスタンダード・ナンバーである。しかし、踏み込んでいえば、まだあの程度の曲しか生まれていないのである。もっといい曲が生まれ始めるまであと2〜3年、という予想。はてさてどうなるか。

懸念はある。Vocaloidが、その文化の出発点としてあまり商業的ではない、という点だ。実は既にボカロのCDは多くのリアルな歌手たちを上回る売上を出し始めている。しかし、あクマでまだまだ補助という感触が強い。この世界が成熟してきたとして、それが商売になるか、そこに市場が出来るのかというのがひとつの鍵だ。無料で聴ける動画サイトの恩恵を受けて育ってきた10代の子たちが社会人にりつつある。それも大体10年なわけだ。

そこさえクリアすれば、邦楽市場はまた活性化する。いや、ことVocaloidに関しては、日本が世界を牽引するかもしれない。極論すれば、Vocaloidの国際標準が日本語になるかもしれない。柔道の技が日本語のローマ字表記なように、フェンシングの技の名前がフランス語(だっけ?)なように、Vocaloidの歌詞はまず日本語、という事が起こるかもしれない。実際、アニソン歌手などは欧米で公演をする時、英語で歌うより日本語のままで歌う方が喜ばれるそうな。それが文化を敷衍するという事なのだが。

何故そんな大言壮語な予想を立てるか。理由はこれまた至極単純明快、Vocaloidと最も相性のいい言語が日本語なのだ。

日本語はどういう言語か。音声学的には、必ず子音と母音は1対1で組み合わされていて、それがひとつの音素を形成する。従って、それを歌に乗せる場合は基本的に1音符について1音素を当てればよい。英語だとこうはいかない。1音符につき1単語、或いは1音節。習熟すれば当てはめられるようにはなるものの、敷居は凄く高い。日本語はその入り口が凄く入りやすいのである。Vocaloidが(ってこれたぶんクリプトンの商標だよね、でもきっと"ウォークマン"や"ホッチキス"みたいに一般名詞になっていくんじゃないか)日本で人気なのはそういうき根本的な理由からだ。

同じ理由でドイツ語もVocaloidと相性がよさそうだ。もしかしたらイタリア語もかもしれない。そういった、音符と言葉の関係がシンプルな言語ほどVocaloidは普及しやすい。だから、ほどなくしてこの"機械歌手"の世界は日本がリードすることになる―これは予想というほどでもないのだけどな。


で、我々に興味があるのは、そういった全世界的な展開の方ではなく(それはどっちに転んでもどうでもいい)、純粋に日本語の歌の世界の話だ。Vocaloidを利用して、強力な楽曲を作る作曲家が複数、次々と現れる。純粋に、ひっさびさに、いや、初めてかもしれない、ヒカルにとってライバルともいうべきクラスのソングライターが現れる可能性があるのだ。というかこのチャンスを逃したら本当に邦楽市場は終わりだろうな。

そうやって再活性化された邦楽市場が生まれれば、ヒカルが戻ってきて"勝負をする"甲斐も出てくるというもの。それまで待ってみるのもひとつのテだろうね。


さて、次こそは前回の最後に触れた「その話」の続きをしますかね。(という毎度お馴染みオシシ仮面詐欺)